ジョエル・レスターの「バッハの無伴奏ヴァイオリン作品―その様式、構成と演奏」を読む

Bach's Works For Solo Violin - Style, Structure, Performance, Joel Lester, Oxford University Press (1999)

 

第一章 バッハの無伴奏ヴァイオリン作品の歴史
第二章 ト短調のアダージョ
第三章 ト短調のフーガ

方針変更の言い訳
第四章 シシリアーナ
第五章 プレスト
おまけ プレスト ショット・バルエコ編と全音・佐々木編

バッハの無伴奏ヴァイオリンのための作品に関する参考書を探していたところ、よい本を見つけました。タイトルにあげたこの本では、ヴァイオリンのためのソナタ・パルティータの中から、特にト短調のソナタを中心に解説されています。歴史的な考察や楽曲分析が中心ですので、ヴァイオリニスト以外の人でも興味深く読めます。英語も比較的平易ですし、私程度の楽典・和声の知識でも7割くらいは消化できそうかな、といったレベルで書かれています。(甘かったです。6割に訂正します)また、ペーパーバックで180ページほどと、分量も手ごろです。

ここでは、学校時代の自習ノートといった趣で、読み進みながら考えたことなどを書き綴ってみたいと思います。私が赤線を引いた部分を訳出してみり、各節の大まかなまとめを書いたり、勝手なコメントをつけたり、無計画にやります。もちろん、ここに書くものは、きわめて個人的なメモです。他人が読んで意味の通じる、まとまった訳ではありません。読み間違いも多く発生することと思います。もし面白そうだと思ったなら、ぜひ原書にあたられることをお奨めしたいと思います。ちなみに、黒字は本から(かなりの編集を経て)抽出した部分、緑字は私のコメントです。

第一章 バッハの無伴奏ヴァイオリン作品の歴史

Gマイナーのソナタのオープニングの和音は、このソナタ全体を象徴している。このソナタの3つのGマイナーの楽章は、すべてこのコードで終結する。ヴァイオリンの低音側2本の開放弦を含んだこのコードは好く鳴り、きわめてヴァイオリン的な響きを持っている。このことは、平均率クラヴィーアとインベンションが、それぞれ鍵盤中央のミドルCからのアルペジオおよび上昇スケールで始まることに対比できる。

バロック時代は、「通奏低音の時代」であるといえる。当時のほとんどすべての音楽は、通奏低音の上に作曲されていた。であるならば、どのような理由で、通奏低音を持たないこのソナタ・パルティータが、構造的にバッハ的であるといえるのであろうか。

バッハの音楽のリバイバル、1829年のメンデルスゾーンによるマタイ受難曲の上演は、音楽史上の重要な出来事である。バッハの無伴奏ヴァイオリン作品全曲の初版が出版されたのは、それに先立つことほぼ四半世紀、1802年のことであった。作品が書かれてから、実に80年後のことであった。

シューマンは、このソナタ・パルティータ全曲に対して、ピアノ伴奏を補作している。これは、一つには、メンデルスゾーンの出版したシャコンヌの伴奏譜の向こうを張ったものと思われる。ブラームスも、ピアノ左手のためのシャコンヌの編曲譜を1878に出版している。

こういうロマン派の作曲家の補作・編曲を聞くことによって、19世紀の聴衆の耳にバッハがどのように聞こえたのかということが、見て取れるわけですね。バッハ・シューマン作のピアノ伴奏によるヴァイオリンソナタ・パルティータはCDで聴くことも出来ます。アマゾンで、シューマン、バッハ、ヴァイオリン、ソナタで検索すると出てきます。

歴史的背景

バッハがこのソナタとパルティータを作曲したのは、1720年以前であると考えられる。この年、バッハは35になり、7月には妻、マリア・バルバラが亡くなっている。1720年は、バッハにとっていわゆるケーテン時代のほぼ中ごろで、当時、オルガニスト、教会音楽家としての職務を持たなかったバッハは、さかんに器楽曲を作曲していた。このころの作品には、ブランデンブルグ協奏曲、平均率クラヴィーア曲集、2・3声のためのインヴェンション、6つの無伴奏チェロ組曲などがある。

特にこれらの独奏作品は、かなり教育的な意味合いを持って書かれたと考えられるそうです。もちろん、単なるエチュードということではなくて、演奏家によい作品を提供して、彼らの音楽的なインベンションの発現を促すという意味です。だから、「インベンション」なんですね。

三つのソナタは、いわゆる教会ソナタ(sonata da chiesa)であり、緩・フーガ・緩・急の四楽章よりなる。パルティータは、室内ソナタ(sonata da camera)の形で書かれており、一連の舞曲楽章よりなる。しかし、この6曲の性格はそれぞれに大きく異なっている。Gマイナーのソナタでは、低音側の二本の開放弦はトニックとドミナント(G、D)であり、これらがバス・ペダルとして用いられる可能性を示唆している。また、4声の主和音を弾くことも容易である。一方Eメイジャーのパルティータでは、高音側弦二本がトニックとサブドミナントに相当し、この場合、プレリュードに見られるようにペダルは上声側に現れる。

バッハとヴァイオリン

バッハは、卓抜したオルガンおよびクラヴィーア奏者であったことは言うまでもないが、ヴァイオリンの腕前も確かなものであった。ワイマール時代、1703、および1708から1717年にかけて、バッハはヴァイオリン奏者としての職務を負っている。また、カール・フィリップ・エマニエル・バッハによれば、セバスチャンは老年にいたるまで、明快でよくとおる音でヴァイオリンを弾いたという。

要するに、バッハはヴァイオリンの機能を熟知した上で、ソナタとパルティータを書いたということです。ギタリストが書いたギター曲のようなつもりで、原曲を見るべきなのかもしれませんね。

バッハのスコア

このソナタとパルティータについては、バッハの署名入り自筆譜が現存している。また、ファクシミリ版つきの楽譜も多く出版されている。

クレフ(音部記号)

バッハの無伴奏ヴァイオリン作品は、ほとんどの部分がト音記号で書かれているが、高音が続く部分では、一部フレンチ・ヴァイオリン・クレフ(ト音記号が第一線にあるもの)が用いられている。18世紀初頭の音楽家は、現在よりも多くの音部記号に精通していた。たとえば、バッハが当時9歳であった息子のウィルヘルム・フリーデマンのためのに書いたクラヴィーア曲集の第一ページには、8種類の音部記号の読み方が説明されている。

クストス(ガイド)

バッハは、段の終わりには必ず、下の段の始まりの音の高さを示すクストス(ガイド)を記入している。

ト短調のアダージョ3段目終わりと4段目冒頭

こんなの、ぜんぜん知りませんでした・・・・ファクシミリを見ると確かにカギ印のようなものが書き入れてありますね。まあ、私なんかはバッハの曲が初見で弾けるわけでなし、あってもなくても大差ないですが。

調号

バッハの用いた調号は、現在のものとは異なっている。Gマイナーのソナタでは、♭は一つしか書き入れられていない。(例1) これはドリアン(ドリア旋法)を示唆するものである。このような不完全な調号は、18世紀初頭においては、珍しいことではなかった。この理由には、一つには、当時の音楽家の間に、いわゆる教会旋法が和声の基礎となるべきだという考え方が残っていたことがあげられる。さらに、マイナースケールに必要な臨時記号のうち、どれが調号に属するべきかという点で、統一された考え方が確立されていなかったことも大きな要因である。しかし、バッハが不完全な調号を用いているからといって、このソナタがモード的に書かれているというわけではない。Gマイナーソナタの和声は、完全に近代的な意味で調性的和声だといってよい。

あら、ホントにそうですね。まったく気が付きませんでした。情けない・・・・フラット一つでは、Dマイナーですね。ちなみに、マイナースケールは、基本的にはエオリアンです。

臨時(変化)記号

バッハの臨時記号の使い方は、1小節間有効とする現代のルールとは異なり、変化する音すべてに臨時記号がつけられている。(例1)ただし、同一の声部に限っては、連続した二つ以上の音が変化する場合には、二つ目以後の記号は省略される。

符尾と符幹(はたとぼう)

重音のぼうは、一本ではなくて、それぞれの音に独立してつけられている。(例1)これは、当時としては一般的な記譜法で、和声は独立した多声部の重なりによって成立するという考えを反映したものである。
バッハの手稿譜のはたの形をよく観察すると、その音楽的表現、強弱、リズム、ニュアンスといったものに関するヒントが得られるだろう。(例1)

例1 ト短調のアダージョの冒頭

最初の点については、アダージョの出だしのGマイナーの和音を見てください。後者については、うーん、確かに手稿譜をじっと眺めていると、譜面から音が聞こえるような気がしてくるから不思議です。

スラー

ソナタ、パルティータの記譜でもっとも問題となるのがスラーである。バッハ学者のゲオルグ・フォン・ダデルセン (Georg von Dadelsen) の1986年の論文は、バッハのスラーを考える上で、参考になる点が多い。いくつかを列挙すると、まず第一に、バッハの音符の下につけられたスラーは、しばしば右に寄りすぎていることである。したがって、アダージョの一連の32分音符の最初の音にスラーがかかっていないように見えるのは、バッハの意図したことではないであろう。第二に、18世紀においては、強拍はダウンボーで弾かれるという、いわゆる「ダウンボーのルール」があったことである。とはいえ、厳密な意味でのダウンボーのルールが適用されるのは、フランス風舞曲のみであって、ヴァイオリンの演奏一般に無条件に当てはめるべきではない。

この問題、ギターで弾く場合は悩みますね。リュートのスラーを真似しようなどとすると、指をネンザします。ハープシコード等の鍵盤楽器の演奏を参考にすればよいかもしれませんね。

演奏する写譜家としてのバッハ

バッハが譜面を書きながら、頭の中に音を鳴らしていたことには、疑問の余地がない。したがって、その筆跡には、バッハの意図した音のイメージが直接現れていると考えるのは自然なことである。

心頭滅却して、バッハの自筆譜を眺めていれば、バッハの音が聞こえてくる、ということです。ホンマカイナ・・・

編曲作品

バッハの生徒であった、アグリコラ (J F Agricola) は「バッハは、ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを、適当にハーモニーを補いながら、よくクラヴィコードで演奏した」と書き残している。また、実際に本人が譜面として残したかどうかは別として、バッハは自らの無伴奏ヴァイオリンのための作品を、他の楽器のために編曲していた。イ短調のソナタは、チェンバロのためのソナタ (BWV 964) に編まれている。ホ長調のパルティータは、リュートあるいはハープのための組曲 (BWV 1006a) として存在する。ト短調のソナタの中のフーガは、リュート用 に (BWV 1000) また、オルガン用 (BWV 539) に編曲された。ハ長調のソナタの第一曲は、鍵盤楽器のため (BWV 968) に編まれた。ホ長調のプレリュードは、カンタータ120番と29番中で、オルガン・オブリガート・ソロとして使われている。

 

第二章 ト短調のアダージョ

アダージョの手稿譜(jpgファイル、260K)は、こちら。右クリックして、ダウンロードしてください。

フーガへの前奏曲としてのアダージョ

3つのヴァイオリン・ソナタの第一曲、アダージョおよびグラーヴェは、いずれも続くフーガへの前奏曲である。バロック時代には、フーガはほとんど必ず、それに先行する楽章、プレリュード、トッカータ等を伴っていた。フーガが緻密な対位的なテクスチャーを持っているのに対し、プレリュードは、しばしば即興的である。作曲家および演奏家は、自由な即興と堅固な構成感の両方を表現することが出来たわけである。このト短調のアダージョも典型的なプレリュードであり、即興的だといってよいであろう。

バッハのプレリュード、1つのタイプ

パターン・プレリュード

多くのプレリュードは、即興演奏を模倣している。たとえば、プレリュードが一連の和声進行にそって、一定のパターンをくりかえして行くことにより構成されている場合などは、まさにそうである。たとえば、平均率クラヴィーアのハ長調のプレリュードなどは、このパターン・プレリュードの典型といえる。

ところで、私はこのハ長調のプレリュード、大好きです。

和声的基礎

カール・フィリップ・エマニュエル・バッハの1762年の通奏低音教本によれば、即興的なプレリュードは次のような方法で構成される。これは、父、セバスチャンの考えを反映していると考えてよいであろう。

  • トニック・ペダルあるいは、トニック・カデンツで、導入部および終結部の調性を明確に提示する。

  • 中ほどの部分では、種々の数字つきバスを伴って、バスは上昇あるいは、下降スケールを奏す。

  • 終結部では、ドミナント・ペダルを導入することもできる。

要するに、最初と終わりでは、はっきりした終止形(I−II−V−I とか)を使って、何調の曲なのかはっきりわかるようにする。中間部分は、ベースの音は上昇あるいは下降スケールを作るように弾き、その上に色々な和音をのせて、コード進行を面白く聞かせる。たとえばサークル・オブ・5th(5度圏)を使うとか・・・ということでしょうね。ドミナントペダルといえば、ベートーベンのシンフォニーなんかでは、長いですね。スコアで数ページくらい、最後の最後にトニックが出てくるまで、バスがずーっとドミナントだけだったりします。コントラバスの人はさぞ退屈でしょう。

プレリュードとしてのト短調のアダージョ

根底にあるバスの動き

ト短調アダージョに通奏低音を施したものを譜例として次にあげる。
アダージョ通奏低音バージョン

冒頭の2小節では、1−2−5−1のバス上に、トニック−ドミナント−トニックの(I−ii−V7−I)のカデンツがあらわれ、調性を確立する。第2小節4拍目から第4小節にかけて、Gからのバスの下降スケールは、C♯をスキップしGに至り、キーはDマイナーとなる。また、第5−8小節では、バスはGからDマイナーのスケールをAまで下降する。このAから始まる第8−9小節目のカデンツは、いわゆるクロージング・カデンツ (Cadenz-Clausul) であり、凝ったドミナントがトニックに戻ることによって、一つのセクションの終わりを確定する。

二番目のセクションは、このDマイナーのカデンツに始まり、弱いカデンツを伴って唐突な転調を繰り返してゆく。第9−10小節は、Gマイナー。このカデンツは、ドミナントが転回形(653)であるために、弱いカデンツとなっている。この部分は、そのエンディング・メリスマの類似性から、第1−2小節のカデンツを想起させる。こうして主調であるGマイナーが回帰するが、第10小節のBナチュラルは、音楽を唐突にCマイナーに導いてゆき、高度に装飾されたトニックに終わるCマイナーのカデンツ(第11小節1拍目)が現れる。第11小節半ばのA♭およびB♭は、次のB♭メイジャーのカデンツ(第12小節1拍目)への準備である。第13小節目のディミニッシュド・7th(減7)の和音は、本来ならばより強い終止となるべきカデンツが、途中で放棄されたような印象を与える。この小節の後半は、即座にCマイナーに回帰し、続くカデンツでこのセクションが完結する。

このアダージョの最後のセクションは、基本的に冒頭の9小節を5度下に(4度上に)移調した形になっている。第1−9小節はトニックからドミナントへ(GマイナーからDマイナー)と移行してゆくのであるから、この第14−22小節は、サブドミナントからトニックへ(CマイナーからGマイナー)と動いてゆく。この2つのセクションでは、お互いに似通った音形が用いられている部分もあるが、他の部分、特に冒頭と末尾(第1−2と14−15、第7−9と20−22小節)では、きわめて異なったメロディーと、メロディックリズムが用いられている。

この節は、ちょっと重要なところなので、他の節よりもすこし詳しくまとめています。日本語でこういう内容のことを書いた経験がほとんどないので、適切な訳語がわからなくて、全然上手く訳せません。

(例3)をリアライズしてソフトシンセ(パイプオルガン)で鳴らしてみると、こんな風になります。ボイシングなどはほとんど考えずに、ただ音を重ねただけですので、聞き苦しい点もありますが、基本的なハーモニーはこんな感じです。それから、リアライゼーション自体が間違っているかもしれません・・・・

このような見方(通奏低音)が演奏に示唆すること

このアダージョを通奏低音の上に構築されたプレリュードだと考えるなら、それは従来のヴァイオリニストのこの曲に対する見方とは大きく食い違う。彼らは、通常メロディーを音楽の推進力だと考え、バスはメロディを支えるものだという見方を取る。このような考えは、古典派・19世紀のメロディー・テクスチャーに対する考え方が、20世紀に至っても、バッハの音楽の解釈を強く支配していることの現れである。バロック時代の作曲手法が通奏低音に基礎をおいていること(メロディーに和声を付けるという古典派以後の考え方ではなく)を考慮するなら、むしろ、メロディーは通奏低音によって奏される和声進行の上に、あたかも即興的に作り出されたかのように奏されるべきであろう。

たとえば、(前の節に述べたように)冒頭、第1−2小節が、Cマイナーに移調されて第14−15小節で再現される際、バッハが強調したいのは、メロディーの回帰ではなくて、同じ通奏低音の回帰なのである。メロディーは、この場合より複雑な音形で装飾され不協和性をまし、音楽のアクティビティーは大きく高まっている。このように考えると、重音を弾く際にバスをやや拍より早く短く弾いて、メロディーを(拍の頭に持ってくることで)強調するようなやり方は不適当である。重要なバスラインの類似性が聞き取れなくなり、メロディーからは、即興的な要素が失われる。音楽史研究家のデイビッド・ボイデン (David Boyden) によれば、ヴァイオリンで4重音を弾く際に、2+2に分割をするのは最近の習慣であって、18世紀初頭には、このような弾き方の例を見つけることは出来ないということだ。彼は、18世紀のヴァイオリニストは、しばしば、4重音を弾く際に、まずバスを長く鳴らし、その後、急速なアルペジオでトップノートを弾いたとしている。このような演奏法は、バッハの書法にふさわしいものである。

ボイデンの言っているような弾き方は、ヴァイオリンでは難しいのかもしれませんが、ギターでは簡単です。案外、この曲をギターで弾くというのは、理にかなったことなのかもしれませんね。例3の通奏低音をジャラーン、ジャラーンと弾き流しながら、そのコードの中から、ふと思いついたようにバッハのメロディーが湧き出てくる・・・というようなイメージですね。

アダージョの修辞的な構造

各セクションの配置

アダージョの3つのセクションの内容をまとめると下のようになる。

小節 調性 まとめ
1−9 ト短調 (i)→ニ短調 (v) 第5小節で二短調に転調
第9小節に重要なニ短調のカデンツ
9−13 →ト短調 (i)
→ハ短調 (iv)
→ホ長調 (VI)
→ハ短調 (iv)
強いカデンツを伴わないすばやい転調
14−22 ハ短調 (iv)→ト短調 (i) 音形の変化を伴った第1−9小節のトランスポジション(移調)

このように見ると、この楽章はソナタ形式に類似の構造をしていることがわかる。第1−9小節が主題提示部、第9−13小節が展開部、第14−22小節が再現部というわけである。古典派のソナタでは、主題提示部の主な目的は、トニックからドミナントに移行することで楽曲にコントラストを付け、再現部に至った時の音楽の解決感を高めることである。しかし、このアダージョでは、曲全体を通して、テクスチャーなどもほぼ均一であって、古典派のソナタに見られるよなダイナミックなコントラストは認められない。また、最後のセクションでは、テーマはトニックではなく、サブドミナントとして(上の表を参照)回帰してくる。したがって、中間部分に見られる頻繁な転調は、再現部におけるトニックの回帰の準備とは考えられない。また、第14小節目からの最後のセクションに至っても、主題が再現されたという強い印象はない。つまり、古典派の音楽形式論では、このアダージョの構成は説明できないのである。

高まってゆく音楽のアクティビティー

この節を、抄訳するのは難しいです。レスターは、ここでは、要するに、、このアダージョは主題をもとに、色々な意味での音楽的アクティビティーが徐々に高まってゆくように書かれていると指摘しています。ここで言う音楽的アクティビティーとは、和声であり、リズムであり、装飾であり、メロディーの音形や、メリスマであるわけです。具体的には、和声は単純なものから不協和で複雑なものへ、メロディーラインはより装飾的で込み入ったものへとテンションを高めてゆきます。それが典型的に現れているのは、エンディングのカデンツでしょう。ここではメリスマは複雑化の極に達し、なんと128分音符!!までが登場します。

修辞法の影響

バロック時代、ヨーロッパに住む大部分の大衆は文盲であった。そして、現代にくらべれば、はるかに話し言葉を操る技術、すなわちレトリックが重要視されていた。(レトリックはしばしば修辞法と訳されますが、音楽について語る場合は、弁論術のことを意味していると考えるのが妥当なように私は思います。少なくとも、このレスター論文のコンテクストにおいては)また、バッハを含む当時のドイツの教会音楽家の多くは、聖歌隊の少年たちに音楽のトレーニングを施すことだけでなく、ラテン語と弁論術(レトリック)を教えることを職務としていた。バロック時代の音楽家にとって、作曲は演説の親戚のようなものであったと考えられる。どちらも、まず基本となる考えをはっきりと述べ、それを発展させてゆくのであって、途中で無関係な話を持ち込んだりはしない。

動機

8−7−4−3というスケールパターンの動機が、このアダージョ全体をつなぎ縫い合わせる糸のような役割を果たしている。

8−7−4−3といわれても、なかなかピンと来ませんが、8、7、4、3度という音程で構成される動機です。冒頭のメロディーで言えば、G’−G−F♯−C−B♭の流れですね。最初のオクターブの下降がない1−7−4−3(G−F♯−C−B♭)も同じことです。この動機が、E♭−D−A♭−Gなど、さまざなバリエーションで、あちこちに現れてきます。言葉だけではわかりにくいので、アダージョの冒頭を簡略化して弾いた後に、G’−G−F♯−C−B♭の動きを抜き出したサンプルを作ってみました。

演奏についての考察

重音(マルチプル・ストップ)

バッハは、重音の各声部を異なった音値で記譜していて、場合によっては、その記譜どおりの音の長さで演奏が可能な場合もある。例えば、シゲッティやメニューインは、冒頭の和音の♭を正確に4分音符の長さで弾いている。しかし、記譜どおりの演奏が技術的に不可能な場合も多く、このアダージョが即興的だということを考慮すれば、バッハは現在の我々の演奏習慣に比べれば、より自由なスタイルでの演奏を望んでいたであろう。

これは、たいへん勇気づけられる意見ではありますが、では、どこまでならやってもよいかということになると、話は複雑ですね。音の長さは、かなり自由に扱ってよいとしても、装飾や、声部、和音の追加、変更は?許されるのか・・・こういう事について、色々な立場や主義の演奏家に考えを聞いてみたいものですね。

ルバート

現代の演奏習慣では、テンポを遅らせるルバートは許容されているが、曲の基本テンポよりも速くなるタイプのルバートは、「弾き急ぎ」として避ける傾向にある。しかし、ロバート・フィリップの歴史的な録音の研究によれば、このような部分的なテンポの上昇を嫌う習慣は20世紀になって成立したものである。メトロノームの発明される以前の18世紀にあっては、テンポの選択は、拍のレベルでも、小節のレベルでも、現在に比べてはるかに自由なものであったであろう。しかしながら、20世紀のヴァイオリニストによるアダージョの録音では、メトロノーム的に正確なテンポで演奏されていることがほとんどである。現在のヴァイオリニストにも、通奏低音と即興ということをヒントに、まだまだユニークな演奏スタイル(あくまで、18世紀の演奏習慣にのっとった形で)を作り出す余地が残っているのではないか。

このタイトルを見て、いきなりセゴビアのことが頭に浮かんだ人は、私だけではないかもしれません。おっと、この話はネット上の地雷原でしたね・・・・

自筆譜に関するノート

スラー

ここでは、バッハの自筆譜に書き入れられたスラーについて、それらがどの音符に対してつけられたものか、ということを一つずつ考察しています。たとえそれがはっきりわかったとしても、ギターの場合、ヴァイオリンと完全に同じパターンのスラーをつけることが出来るわけでなし。ギタリストとしては、ごく標準的な意見をそのまま受け入れておけば良いのではないかと思いますが・・・・

疑問の残る音

第19小節目1拍目は、バスがDの3重音か、Aの2重音かの疑問が残る。

第19小節 (DAF、あるいはAF?)

いやー、一見Dに見えるのは、どう見ても音符の旗でしょう。ところで、パールマンは、このD、弾いています。

リズムの記譜

多重付点

近年、18世紀初頭の音楽において、付点音符は記譜のとおりの長さで弾くべきか、あるいは、付点のついた音符をより長く、つかない音符をより短くして奏するべきか、という問題について多くの議論がなされてきた。しかし、一般に受け入れられている結論は、「場合による」というものである。このアダージョに多重付点的な演奏法を適用するにあたっては、十分な注意をはらう必要がある。

うーん、要するにどうしろというんでしょうねえ。このアダージョで付点の現れるのは、主にカデンツとメリスマの部分です。こういうところは、かならず即興的な表現が要求される場所ですから、長いにせよ、短いにせよ、記譜どおりに弾かれる事は少ないのではないでしょうか。

イネガル

18世紀初頭には、同じ長さの音符の続くパッセージで、スラーが二つずつの音符に並んでかかっている場合、スラーのかかっている最初の音をやや長く奏するイネガルという演奏習慣があった。フランス風の舞曲では、このような奏法を用いることが当然とされたが、このアダージョは、そのようなスタイルからはかけ離れた音楽である。

とはいうものの、レスターはイネガルを適用すべきだとも、すべきでないとも結論付けていません。

ふうー、これで第二章はおしまいです。次の第三章、フーガは演奏も、本のまとめも、どちらもかなり手ごわそうです。 力尽きて挫折したら、ごめんなさい。

 

第三章 ト短調のフーガ

フーガの作曲において、バッハはまったく孤高の存在である。過去、現在を問わず、あまりにも他に比べ抜きん出ているために、その高みのまわりには草木も生えぬただ空虚な地平が広がっているだけのようにさえ感じれれる。バッハのフーガに匹敵するフーガを作曲しえた者はかつてない。バッハのフーガを聴いたことのないものには、フーガとはどのようなものか、そして、どのようにあるべきかを想像することすら出来ない。

「ヨハン・セバスチャン・バッハの生涯、その天才と作品」より、
On Johan Sebastian Bach's Life, Genius, and Works, by Johann Nicolaus Forkel (1802),  
おそらく Augustus Frederic Christopher Kollmann (1820) による訳を蚊帳吊りウサギ訳

ひえー、そんなすごいものを私が弾いてよいもんなんでしょうか・・・ ところで、レスターの解説を読む前に、どうもフーガについて、最低限の基本事項は勉強しておいたほうがよさそうなので、ちょっとまとめてみました。実際、恥ずかしい話ですが、フーガについて私は、日本語では遁走曲って言うんだよなあ、くらいのことしか知らなかったんです。

まず、けっこう用語が混乱していますので、主な用語の日英対照表を作ってみました。微妙に意味の違うものもありますが、大雑把にひとくくりにしました。

英語 日本語
subject 主題、先唱句、主唱
countersubject 対位主題、対位句、対唱
answer 応答、追唱句、応唱
tonal answer 守調的応答(追唱句、応唱)
real answer 真正応答(追唱句、応唱)
exposition 提示、提示部
episode 間奏部、嬉遊部
middle entry 展開部、提示
stretto ストレット、追迫部

フーガは、ある声部で提示された主題を別の声部が模倣しつつ追いかける形で進行します。例えば、例1では、中声部が提示した主題を上声部が追います。これが主題に対する応答ですね。上声の応答が始まったら、中声は休んでいるのではなくて、応答に対して対位的な旋律を奏します。さらに残りの声部が上と同じような手順で順次主題を提示して、フーガの主題提示部が終わります。また、最初に中声が上声の応答に対して奏したモチーフが、各声部について共通に用いられていれば、これを対位主題と呼びます。提示部が終われば、通常、自由な形式で書かれた間奏部がそれに続き、次にまた、厳格な対位的手法で書かれた展開部が現れます。こうして、フーガは間奏部と展開部を交互に繰り返しながら、通常コーダを伴う終結へと向かいます。

例1 フーガ ハ長調、 平均率クラヴィーア第1巻より

主調(トニック)で奏される主題に対して、その応答はほとんどの場合が属調(ドミナント)です。つまり、応答は、主題を5度上げるか、4度下げた形で現れます。これは、もちろん、調性音楽の基本である主音と属音をいち早く提示して、曲の調性を確立するためです。例1では、ハ長調の主音Cで始まる主題に対する応答は、属音であるから始まって、1−5の音程を聞き手に印象づけます。また、この例1のように、主題の音程がそのまま正確に応答に写される場合、これを真正応答と呼びます。しかし、主題の中にすでに属音がふくまれている場合、音程の変更が行なわれるのが普通です。例えばハ長調の属音を単純に5度上げれば、それはスーパートニックであるとなります。しかし、曲の冒頭の応答にこの音の出現することは調性感の混乱を招きます。そのため、を主音(トニック)であるまで下げて、本来の5度音程を4度と変更することが行なわれます。このように、調性感を保つために音程の変更された応答を守調的応答と呼びます。   

例2 仮想的な応答 その1

さて、このような点を押さえた上で、バッハのト短調のフーガの冒頭、主題提示部を見てゆくと、どのようなことがわかるでしょうか。まず、主題はいきなり属音であるの4連打から始まります。これを形どおりに4度下げた(5度上げてから、オクターブ下げた)応答を書いてみると、上の例2のようになります。スーパートニックであるAがことさらに強調された応答となります。これは、上に述べたような理由でたいへん具合の悪いことです。そこで、定石どおりを主音であるとしたのが例3です

例3 仮想的な応答 その2

ご覧のように、今度はが5連打されます。これでは、いくらなんでもメロディーとして退屈でしょう。そこで、バッハがとった対策は、いっそのこと、例4のように主題全体を5度下げてしまう(4度上げてから、オクターブ下げる)ことです。つまり、ここでは主題の応答が、通常の属調ではなく、下属調で現れきているわけです。下属調の応答というのは、きわめてまれで、バッハの全作品のなかでも、他に二例を見るだけです。(オルガンのためのプレリュードとフーガ、ハ長調、BWV531、トッカータとフーガ、ニ短調、BWV565)

例4 サブドミナントの応答

フーガの神様とも言えるバッハのことですから、このようなことは、曲を書く前から当然お見通しであったわけで、主題を属音の連打で始めてしまったから、応答を下属調としたのではなくて、はじめから応答を下属調にするために、属音を連打するような主題を書いたことは、火を見るより明らかです。 アダージョのほうのまとめも読んでくださった方は、このソナタの第一曲、アダージョでは、主調であるト短調と下属調であるハ短調の拮抗と終結部での二つの調の融合が、曲の構成上たいへん重要だということを、レスターが言っていたのを覚えていらっしゃるかもしれません。実際、アダージョの最後の数小節は、♭だらけでの姿が見当たりません。つまり、アダージョにおいてすでに、このフーガにおける下属調の応答の準備ができている、さらに言えば、ト単調とハ短調の対比というのは、アダージョだけではなくことソナタ全体を貫くテーマであるということが出来るわけです。

ト短調のフーガの構成

主要なカデンツによるセクションの区分

このフーガは、次のカデンツによって6つのセクションに分けることができる。

区分 カデンツ・ポイントとキー
冒頭より、14小節1拍目・Gマイナー(トニック、主和音)
14小節1拍目より、24小節3拍目・Dマイナー(ドミナント、属和音)
24小節3拍目より、55小節1拍目・Cマイナー(サブドミナント、下属和音)
55小節1拍目より、64小節1拍目・B♭メイジャー(リラティブ・メイジャー、関係長調)
64小節1拍目より、87小節1拍目・Gマイナー(トニック、主和音)
87小節1拍目より、末尾94小節4拍目・Gマイナー(トニック、主和音)

上記の主要カデンツが区切りとなって新しいセクションがはじまるが、新セクションは、それぞれ、異なったテクスチャア、音型、対位的デバイス、レジスターを持っている。また、アダージョの場合と同様に、各セクションは徐々にその音楽的なアクティビティーを高めてゆくように書かれている。

セクションの特徴を簡単にまとめると次のようになる。(つくりかけです。もう少し詳しく書く予定です)

セクション

まとめ

もっとも単純かたちでの主題の提示。入りの音はDとGのみ。明確な対位主題を持たない。
2声のシーケンスで始まる。ここで、初めて前曲(アダージョ)の最高音域より高いレジスターが用いられる。このシーケンスはフーガを新しい調へと導いてゆく。主題の入りは、5度圏を用いてD、G、C、Fの四つのピッチで行なわれる。
主題の提示は3声となる。前セクションと同様に、5度圏を用いたD、G、Cの入り。5−6−7−8の上昇旋律短音階を用いた、対位主題が現れる。
再度、5度圏を用いたC、F、F、B♭での入り。4声のフーガとなる。使用音域は、ヴァイオリンの全音域に拡大される。
82小節から、最低音域で主旋律のもっとも長い提示。
コーダ

高まってゆくアクティビティー

間奏部においても、同じシーケンスが2度目に現れる場合は、より複雑に変化している。一例を挙げれば: 42小節目から始まる16分音符のアルペジオは、5度圏を用いた進行をする。最初の3小節までは、新しい和音は表拍ごとに現れ、その音型はそれぞれを単純に移調した形になっている。4小節目に至って初めて、和声的なリズムはテンポをその増す。(コードの変化が早くなるということです) 同様のシーケンスは、87小節からに再び現れるが、この場合、2小節目ですでに和声的リズムはそのテンポを増し始める。また、すべての音型は異なっている。また、このシーケンスは、バスのトニックペダル(Gの音)の上に始まり、その不協和感から音楽的緊張を高めている。

このような分析が、ヴァイオリニストにとって、運弓やダイナミクスを考える上で大いに参考になろう。

要するに、同じようなパターン・モチーフが二度以上出てきたら、最初とどこが違っているのかを調べて、その違いを強調するように弾きましょう、ということでしょうね、平たく言えば。  

応答がサブドミナントであることの影響

(上にも書いたように)サブドミナントは、フーガのみならず、このソナタの全楽章にわたって大切な働きをしている。特に、フーガの55小節目のCmのカデンツは、たいへん印象深い。A・A♭はト短調とハ短調スケールを見分ける目印になるが、アダージョでは曲が進むにしたがって、A♭の存在が顕著になり、終曲部に至っては、スケールステップ2は、AではなくてA♭になってしまう。フーガにおいても、AとA♭が並列される個所は多く見られるが、特に77−79、84小節目は、アクティビティーの高まりを考える上で重要だ。

えー、ここからちょっとややこしいハーモニーの議論が始まるのですが、私にはきっちり理解・説明する自信がありません。誰か、代わりにやってくださらないでしょうか。無理を承知で、ものすごくはしょって言うと、77−84小節目あたりのシーケンスは、31−32小節目の焼き直しなのです。32小節目には、ナポリタンの和音がニ短調のキーで出てきますが、これに相当する和音が84小節目では、ト短調で現れてきます。ト短調のナポリの6といえばA♭。(ですよね?)それで、上のA・A♭の話になるのです。つまり、既出のマテリアルを77−84小節目でより複雑に焼きなおすにあたって、A・A♭の並列(サブドミナントの影)が効果的に使われているということらしいです。まあ、理屈はともかく、この部分を聞いてみれば、クロマチックな不協和感、いったいこのコードは何だろう、というような不思議な感じが、音楽の緊張感を高めているのはすぐわかります。

構成と演奏:フーガの主題の提示

このフーガの構成を考えたとき、どの様な演奏のオプションが考えられるだろうか。冒頭の主題提示部に絞って考えてみる。1−3小節目をみれば、これは3声のフーガと考えられるが、では、4小節目半ばの最初と同じピッチ(D)での入りをどう考えればよいであろうか。これは、4声目と考えることもできるし、あるいは、既出声部の2度目の入りだと見なす事もできるだろう。これだけの至近距離での入りであるから、普通は新しい声部と考えるのが妥当であるが、それならば、そのピッチは他の声部と異なっていなければならない。(しかし、実際は、冒頭のDと同じ音でのエントリーとなっている)これは、標準的なフーガの書法とヴァイオリンの持つ演奏上の制限の妥協の産物である。恐らくバッハは、この主題を4声目として導入した。しかし、フーガ全体の構成上の問題から、いきなり最高音域へは導入したくなかったため、やむなくオクターブ下げたのであろう。(オクターブ高いDでのエントリーは、14小節目になってはじめて現れます)実際に、音域に余裕のあるオルガンへの編曲では、(BWV539)4つめの主題の入りはオクターブ高くなっている。

この部分を3声と考えれば、主題の提示は4小節目裏拍のサブドミナントの和音で終了する。その後の部分はエピソードとして処理できるだろう。一方、この部分を4声と考えれば、4声目の提示の終わるまで力強く奏し、5小節目に一種のカデンツ的効果を作り出せるだろう。私は、後者のアプローチがより効果的だと考える。(5小節目まで一気に行け!ということですね)

このフーガは長大であるにもかかわらず、その主題はきわめて短く、そのエントリーは頻繁である。どうすれば、毎回同じような主題の入りが単調な繰り返しになることを避けられるだろうか。大事な点は、フーガ全体の大きな構成を理解することある。 異なった対位主題(Countersubject)、厚みを加える対旋律(Counterpoint)、高まるクロマティシズム(半音階的書法)、繰り返し使われるにしたがって複雑さを増すマテリアル、種々のクライマックス、こういったものを演奏に反映させるべきである。そのためにも、各要素をとりだして個別に練習することは有益である。

方針変更の言い訳

第二章まで続けてきたこのコンテンツですが、現在の形で継続することは止めることにしました。レスターの本自体は、読めば読むほど面白く、勉強になるのですが、その内容をまとめようとすると、詳しく丁寧にやろうとすればするほど、どうしても譜例をそのまま引用したりパラグラフを丸ごと和訳したりすることが必要になってきます。著作権法などという堅苦しい議論を持ち出すまでもなく、そのようなやり方は自分のサイトのコンテンツの作り方としてはふさわしくないと思います。やはり、このような専門的な楽曲分析などは、本を頼らずとも、自分の力でできるようになってから書くべきものなのでしょう。 そういうわけで、残りの二つの章、シシリアーナとプレストについては、私の読後感想を書くにとどめておきたいと思います。興味のある方には、ぜひ原本を一読されることをおすすめします。

第4章 シシリアーナ

工事中

第5章 ト短調のプレスト

ここでの論点は主に、拍子です。バッハはこの曲を3/8の3拍子で書いていますが、部分的に6/16、つまり2拍子だと感じられるところが少なからずあります。たとえば、冒頭がそうですね。しかし、さらによく見てゆくと、曲全体を通して2拍子と3拍子のどちらかが完全に優勢となる部分は見られず、常に二つの拍子が合い拮抗する緊張関係が連続しています。要するに、どこをとっても、両方の要素が同時に聞き取れるということです。これは、実にバロック的な現象なのです。

バッハは、このプレストを、カンタータ23番のシンフォニアに編曲しています。また、このヴァイオリンソナタ全曲について、シューマンがピアノ伴奏を補作していることは以前にも書きました。この二つを聞き比べてみると、バロック的な拍子・和声と19世紀ロマン派の音楽が、いかに違うかということがよく体感できます。バロック的なこのリズム・和声の入れ子構造を、ロマン流に捻じ曲げてしまった最も有名な例は、平均率のプレリュードの上に重ねられたグノーのアヴァ・マリアでしょう。

・・・・・というようなことが書かれています。それにしても、自筆譜に見られる短い小節線は、いったいどういう意味なのでしょうね。

おまけ ト短調のプレストのショット・バルエコ編と全音・佐々木編

レスターの本に書かれていることに関連して、このプレストを練習してみて少し気のついたことがあるので、書き加えておきたいと思います。さて、私の使用楽譜ですが、基本的に全音の佐々木編をベースに、オリジナルファクシミリやバルエコ編などを参考にして、必要があれば適宜変更をしています。BWV1001全体を通して、佐々木編とバルエコ編はずいぶんとコンセプトの異なった編曲ですが、このプレストではその差は今までの3曲にもまして一層際立っています。この曲に関して、二人の編曲の特徴を私なりにまとめると下のようになります。

佐々木編の特徴

  • 適宜バスを補ってハーモニーを厚くしてある

  • フレーズ内でのポジション移動が比較的多く、旋律運指

  • そのため、スピードアップには向かない

  • フレージングを意識した詳細な右手運指が付されている

  • 手の小さい人にも無理のない、ストレッチの少ない運指

バルエコ編の特徴

  • バスの追加はほとんどなく、一部簡略化されている部分もある

  • 小節単位でポジションを固定したアルペジオ奏法的運指

  • そのためスピードアップが容易になる

  • 大きな左手のストレッチも多く、手の大きい人向き

その他、気のついたところを個別に見てゆくと、色々面白いことがわかります。例えば、25小節目。(譜例1)ここでは、17小節目から始まったシーケンスでキーはB♭になっています。これがその後のコード進行(T、ii(7)、I、IV、vii・・・または、B♭、Cm7)、B♭、E♭、Am7-5・・・[この分析、間違いだったら、ごめんなさい。あんまり、信じないでください。まあ、だったら、書かなきゃいいようなものですが])を経て32小節目のトニックでの(B♭)カデンツに至ります。その間、ベースがB♭、C、D、E♭、Aと動いてゆくところがかっこいいです。

譜例1 JSバッハの手稿譜

佐々木編では、この頭の16分音符がオクターブ下げてあり、ギターで弾いた場合のレジスターのバランスをとってあります。(譜例2)また、ここははっきりと二拍子に感じられる部分で、スラーで弾かれる一拍目と、デタッシュの裏拍の対比がおもしろいですね。なんと言っても、ここは前半の難所でしょう。すばやいポジション移動をくりかえしながら、バスのスラーと1弦のB♭−A−B♭パターンを交互に弾き分けてゆかなければなりません。とにかく楽譜に書いてあることを弾くだけで大変です。

譜例2 全音・佐々木編

ここでバルエコ編はどうなっているかと見てみると、左手は6フレットセーハで4小節間、指板に張り付いたままです。(譜例3)これなら楽だ! でも、じゃあ、バスはどうやって動かすのかと言うと、なんと動かさないでトニックペダルでB♭を弾き続けるんです。アナ・ヴィドヴィッチのケネディーセンターでのビデオを見ても、バルエコ編に忠実にガンガンB♭を鳴らしています。なんだか、そこだけ太鼓を叩いているみたいに聞えます。

譜例3 ショット・バルエコ編

「こんなのアリかなあ」と怪訝に思っていたところ、ふとした機会に例のシューマンの補作したピアノ伴奏譜のこの部分を見てみると、なんとしっかりB♭のペダルが書いてあるじゃあないですか。(譜例4)そういうわけで、どうもバルエコはオリジナルのハーモニーよりもスピードを優先するために、シューマンのアイデアを拝借してポジション移動の必要のない編曲をしたのだという推察が成立します。

譜例4 シューマンの補作したピアノパート

この部分でシューマンがトニックペダルを使って、バッハの書いた速いコード進行をあいまいにしているのは、ジョエル・レスターによれば、典型的にロマン派的でバロックとは異質の美意識によるものだと言うことになるのですが、かなりややこしい議論なので、詳しい解説はちょっと私の手(頭?)に余ります。32小節目のF−B♭のカデンツにしても、ピアノパートにはわざわざF♯が書かれていて、意識的にカデンツの終止感を損なおうとしているようです。要するに、シューマンはこの部分にB♭のキーが成立するのが気に入らなかったというのがレスターの解釈です。なんだか、とりとめのない話になってきました。じゃあ、結局、佐々木編とバルエコ編のどっちが良いんだ?と言う話になるかもしれませんが、これがまた、簡単に白黒のつく話ではないわけで、この話はますますとりとめのないものになってゆくのです。