宅録日記

 
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2008年10月11日 ギャリー・ライアン 、大西部の風景より、平原を越えて

ほんとうに、今年はどうも、デュアルテのカタロニア民謡による変奏曲の録音で煮詰まってしまったようなところがあります。次の課題への集中力が湧いてこないんです。仕事がますます忙しくなってきたということもあります。私にとって会社の仕事というのは、飯のタネであると同時に、半分は趣味のようなもの、と言って語弊があれば、ギター以上に情熱を持って取り組んでいる対象なので、すぐに公私の区別がつかなくなるんですね。そういうわけで、最近、計算機化学専用にするつもりで、一台PCを買いました。KVMスイッチで汎用のPCと切り替えながら、ゴソゴソいじっていると、すぐにギターを弾かないうちに夜がふけてしまいます。あら、そういえば、これは、宅録日記だったなあ。こんなこと書いてちゃいかん、いかん。と、このように情けない状況ではありますが、ギターの練習は、下りのエスカレータを上るようなもの、ということは、よく承知しています。足が止まれば、現状維持もままならず、ただずるずると後退するのみ。何とか、最低限の練習だけはこなさなくては。

しばらく前に、今度は「芸の幅を広げる」タイプの曲を、2曲練習しています、と書きましたが、今回の録音は、その1曲目、ギャリー・ライアンの組曲、「大西部の風景から」(Scenes From The Wild West)より、「平原を越えて、幌馬車の隊列」(Across The Plain, Wagon Trail)です。作曲者のギャリー・ライアンは、日本ではほとんど知られていないかもしれませんが、すばらしいギタリストで、若くして英国王立音楽院のギター科の教授もなっています。

Camdem版の楽譜から、ギャリー自身によるノートを、訳出しておきます。

「平原をこえて」は、穏やかで、叙情的、そして内省的な曲で、広大なアメリカの平原、草原を、幌馬車で旅する家族の情景を描写しています。その音楽的な情感は、劇場で映画の大画面を見るように、広広として、朗々と流れるストリング・オーケストラの音を連想させます。私は、この楽章を作曲中に、2001年、9月11日の悲報を耳にしました。

まあ、前口上が長い割には普通の曲で、少しこちらが恥ずかしくなるくらい、ステレオタイプのアメリカンなんですが、これは、2曲目への前座であります。  

2008年6月15日 デュアルテ、カタロニア民謡による変奏曲

山下和仁がパリコンに史上最年少で優勝したのは、77年の10月のことでした。私は、この年の春に北海道大学に合格して、生まれ育った大阪堺市を離れ、札幌で学生生活をはじめていました。ほどなく、山下はパリコンの本選で弾いたブリテンのノクターナルを収録した二枚目のLPをリリースします。録音は、優勝の余韻さめやらぬ78年8月、発売は79年1月です。そのLPを手にしたころ、私は、何とか二年に進級はしたものの、必修のフランス語の期末試験に、半徹夜の一夜漬けが裏目に出て寝過ごす、という大失態をしでかして、痛恨の二年目留年が確定していました。

私たちの世代のギターファンで、このLPに強烈な衝撃を受けた人は少なくないものと思います。何を隠そう、私もそのクチです。留年のショックよりは、このアルバムを聞いたショックのほうが、はるかに大きかったと言っては、学費を出してくれた両親に申し訳ありませんが、それが本音というところです。ノクターナルやテデスコのソナタもさることながら、その中でも、デュアルテという聞きなれない(当時は)イギリスの作曲家のカタロニア民謡による変奏曲という曲には、LPに針を落とす前から妙に興味をそそられるものがありました。しかし、期待に胸を膨らませた私の耳に、スピーカから聞こえてきたのは、何のことはない、リョベート編の盗賊の歌だったのです。ただ、それは、飛び切り上等の盗賊の歌でした。エキセントリックな演奏スタイルと、超絶技巧ばかりが話題にされがちな山下ですが、彼は大変な美音の持ち主だと、私は思います。この盗賊の歌も清楚で、かつ、よく歌う。思わず息を呑むほどに美しいものでした。それが・・・それがです。その桃源郷をさ迷うような至福のひと時は、第一変奏がはじまったとたんに、ガラガラと、それこそ、大地震で食器棚の皿やグラスを台所の床一面にぶちまけたように、ドンガラ、ガッチャンと、崩れていったのです。

な、何だ、これは!

いったいなにが起こっているのかわからないまま、呆然と第一変奏を聴き終えると、私はもう完全にデュアルテ・山下の世界に引き込まれていました。それから先は、もう、何か大きな波に飲まれたように、美しくも奇想天外な変奏の続く中を、あの狂気のフィナーレへ向かって押し流されてゆくだけだったのです。

以来、デュアルテのカタロニア民謡による変奏曲は、私にとって特別な曲となりました。しかし、愛聴曲ではあったものの、いつか弾いてみよう、というような野望を抱くことはついぞありませんでした。絶対弾けるわけがない、と思っていたからです・・・・・ごく、最近までは。もちろん、こう書いたからといって、自分も相当に上達したのだから、そろそろ弾けるだろう、というような、おめでたい考えで、この曲に手を出したわけではありません。だから、練習をはじめて、もう9ヶ月にもなるというのに、いまだに、かなり表現に妥協をしないと弾ききれないところも多いのです。

以前に上達にもタテとヨコがある、という話を、しかかって止めてしまったことがありました。ものすごく詳細をはしょって言えば、私の言うヨコの上達というのは、量的拡大のことです。演奏のレベル自体は向上していないのに、こなした曲数だけが増えてゆく。そういうことです。それに対して、タテの上達は、ダイナミックレンジが広がったとか、音色の変化が多彩になったとか、歌い方がより自然になったとか、なにがしかの質的な変化を伴っていなくてはいけません。ただ、中級レベル以降、ある程度ギターを弾けるようになってから縦方向に伸びようとすると、ただ、だらだら練習していたのではだめで、かなりクレバーな作戦と集中力が必要です。当然、ある程度の苦痛を伴うことも多いもので、私たちアマチュアが上級への壁を越えることは容易ではありません。

私も、過去2、3年、ヴァイスの不実なる者(不実な女とも)を録音したあたりから後は、ぼちぼちとアップした曲が増えるだけで、どうも、このヨコ方向の堂々巡りに陥っているように思います。何とか壁を打ち破ろうということで、昨年秋からは、録音の頻度も大きく落として、このカタロニアに取り組んできました。明らかに、自分の技量を上回る難易度の曲に食らいつくことで、突破口を見つけようというわけです。指を大きく強く動かすことが要求される曲ですから、ともすれば平坦になりがちが私の演奏に、そういう面で良いインパクトを与えてくれるのではないかと期待しました。

さて、その結果ですが、自分としては、多少の変化はあったと思うのです。弾いているほうの感覚としては、明らかに何かが変わったのですが、ただ、それが録音を通して、聴いてくださる方に伝わるほど大きな変化であるかどうかは、はなはだ自信がありません。いずれにせよ、これをきっかけに次の一歩が踏み出せたらいいなあ、と思っています。トミー・エマニュエルなんかに手をだしているのも、もちろん、同じような考え方からなのです。

最後に、ちょっとだけ曲について。この曲のテーマは、カタロニア民謡の盗賊の歌から取られています。盗っ人の歌にしては、やけに哀愁を帯びたメロディーですが、それもそのはず。歌詞を調べてみると、この歌は、捕らえられた盗賊が、処刑を前にして、牢屋で自分の人生を振り返りながら歌う歌なのですから。デュアルテは、この曲はジョン・ウィリアムスの提案でジョン本人のために作曲したと書いています。当然の結果として、ジョンの卓越したテクニックを意識した、技巧的な曲に仕上がっています。おそらく作曲直後に録音したと思われる弱冠17歳(1958年)のジョンの瑞々しい演奏は、今でもデッカ版のCDで聴くことが出来ます。彼の録音は、主題の部分がNovello版の出版譜とは、かなり異なっていて、よりリョベート編に近いものです。私も、今回の録音では、リョベート編を聴きなれた耳に違和感の少ないように、少し音をいじりました。ところで、各変奏のトニックは、最初から順にD、E、F、F♯、E、A、Dですが、これは、ちょうどリョベート編の主題のバスラインになっています。作曲家というのは、色々なところに、ほとんど本人しかわからないような、ちょっとした工夫というか、洒落をちりばめながら曲を書いてゆくものなんですね。

2008年4月7日 トミー・エマニュエルのアルバム、エンドレス・ロードから、アンジェリーナ

トニー・エマニュエルは、皆さんご存知のとおり、クラシックギタリストではなくて、いわゆるフィンガースタイルのアコギ弾きです。YouTubeで彼の演奏を見つけて、一発でノックアウトされて以来のファンですが、最近になってCDやDVDをまとめ買いして、集中的に聞いて見て、さらに認識を新たにしました。トミーは、まぎれもない天才です。YouTubeの音源からでも、彼の圧倒的なリズム感と音楽センスは十分に感じ取れますけれど、CDやDVDの音からは、さらに彼が信じられないくらいのディテールまで完璧にギターをコントロールしている様子が、まざまざと伝わってきます。

世の中に一流といわれる演奏家は多いのですが、その中には、ほんの一握りですが、その人の存在そのものが音楽である、とでもしか言いようのない、特別な人たちがいるように思います。誰をそのような特別な人と認めるかは、人それぞれの音楽的趣味なり、考え方なりによって違うでしょうけれど、私にとっての特別な人は、今までは、わずかに二人。フラメンコギタリストのパコ・デ・ルシアとジャズシンガーのエラ・フィッツジェラルドだけでした。さて、パンパカパーン。今回、晴れてトミーを三人目の特別な人に認定したいと思います。

こうなると、なんとしても憧れのトミーと一つの音楽的世界を共有したい。もう少し平たく言えば、トミーの曲を弾いてみたい、と思うのは人情でしょう。しかし、スチール弦のフォークギターとナイロン弦のクラシックギターは、同じギターとは言っても似て非なるもの。サムピックと指の組み合わせのフィンガースタイルを、極限まで極めたようなトミーの曲は、容易にクラギに移せるものではありません。それでも、あきらめずに探してみると、何とかなりそうなものもあるもので、かなりのリサーチの結果選んだのが、アルバム、EndlessRoadに収録されている、このアンジェリーナ(Angelina)です。ちなみに、この曲は当時10歳だったトミーの末娘、アンジェリーナのために書かれています。ここでは、派手な特殊奏法こそ見られないものの、変幻自在のスラーやスライド、アタックミュート、ピチカート、ハーモニクスなどが駆使されて、トミーの音は万華鏡のようです。私では、まったくの役不足で、そのニュアンスの半分もクラギに移すことは出来ませんでしたが、トミーへの音のファンレターのつもりで録音してみました。

こういう曲は、プロのクラシックギタリストがアンコールに弾くのも、洒落ていて良いかもしれませんね。