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宅録日記
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2007年11月4日 (ポンセのイ短調組曲より、ジーグ ) 私は人前で演奏するのが大嫌いですけれど、実は録音をするのにもプレッシャーを感じるたちです。自宅の書斎で一人で宅録するのですから、プレッシャーも何もないようなものですが、ある程度の期間練習を続けてきた曲をいざ録音するとなると、その日の朝から心穏やかではありません。なんとなく身体がだるくて胃が痛いような、軽いナーバスブレークダウンの症状が見られることさえあります。こういう時は、実際にマイクをセットアップしてギターを抱えても、毎日弾いている自分の分身と言ってもよい楽器が、まるでよそよそしく、赤の他人のように思えて、とても曲が弾けるような気がしません。 楽器の演奏をする人はみなそうなのだと思いますが、曲を弾いている時の心理状態は一種特別なもので、普段の部分練習や基礎練習の時とはぜんぜん違います。いわゆる、気持ちが音楽に入り込んでいる状態で、意識は現実とはかなり乖離したところにあります。自分がイメージする音と、実際に自分のギターから出てくる音が渾然一体となった不思議な世界です。これは一種の心理的励起状態ですから、そこに到達するのにも、それを維持するのにも相当なエネルギーが必要です。エネルギーの補給が途絶えると、とたんに普段のだらけた基底状態に落っこちてきてしまいます。こうなると、指が動いても音楽になりません。 話が横道にそれたようですが、実はそれていないのであって、録音前にプレッシャーを感じるというのは、その心理的励起状態に到達するためにつぎ込まねばならないエネルギーの多さに怖気づいているということなのだと思います。これは、単なるたとえ話などではなくて、私の場合、実際に録音中に血糖値が下がって脱力状態になることもありますので、飴玉をなめながら弾いたりするようにしているくらいです。 肝心のポンセのジーグの話ですが、上に書いたような、かなり情けない心理的葛藤を経て、ようやくアップにこぎつけました。ああ、疲れた。先週末から部屋にマイクをセットアップしたままにして、4セッションやりました。ブログのほうにも書いたように、目標テンポを自分の能力をやや超えるところに設定してしまいましたので、上昇スケールなど、各所に技術的破綻が見られますけれど、それには目をつぶって、先へ先へとせきたてられるような感じを表現することを優先したつもりです。
2007年9月1日 (ポンセのイ短調組曲より、サラバンド) サラバンド、ああサラバンド、サラバンド。8月18日のブログに下のようなことを書きました。 「ところで、重箱の隅をつつくような話ですが、この曲にはいくつか難所があります。なかでも、その筆頭はここでしょう(上記譜例)。3小節前のC♯から、D、E、
F♯、G♯、A、B、C♯とクレッシェンドしながらスケールを上ってきたバスがちょうど1オクターブ上りきって到達したクライマックスです。ゴンザレス編
のトランスアトランティック版では、このC♯(赤丸)を1で押さえるようになっていますが、これではどうがんばっても途中で音が切れてしまいます。これ
が、私には、どうにも気持ちが悪くて我慢できません。ゴンザレスが、なぜこんな大事な音を保持できないような指をつけたのかというと、おそらく、直後にス
ラーで弾かれる内声のB、A、Bを弾きやすくして、たっぷり鳴らすためでしょう。なんと言っても、この曲一番のサビの部分ですから、バスが切れようが何が
あろうが、鳴らないことには、話にならない。うー
ん、でもやっぱり、C♯が切れるのは我慢できそうにありません。というわけで、赤で書いたように運指を変更してみました。このようにC♯を2で押さえてや
れば、問題は解決です。直前の4の指がガイドフィンガーになっています。ところがどっこい、これだと、1、2、4を押さえたまま、3のプルオフ、ハマーオンで三連譜を弾かねばなりません。ちょっと大げさですが、3指の独立性の限界に挑戦する運指です。そのうえ、三連譜のあとは、間髪をいれずに次のポジショ
ンに移動してフレーズを滑らかにつなげなければなりません。これを、難所と言わずしてなんと言おう?」 ひょえー、難しかったあ。やっぱりあかん。難所は、いつまでたっても難所のままです。現代ギター2006年11月号のレパートリー充実講座に、新進気鋭の若手ギタリスト、松尾俊介さんがこの曲の解説記事を書いています。松尾さん曰く「左手に力が入りすぎてこわばった状態だと意図しないアクセントや凸凹がでてしまいますので、できる限り身体の力を抜いて弾くことも大切です」。いや、まったく、ごもっとも。「3連符を含んで音階のように下降するA(難所のこと)などをなめらかにつなげるには、スラーを付ける時だけでなく、ポジションを移動するときも脱力できるようにしてください」。ああ、ごめんなさい。本当に、脱力と指の独立性には、深いかかわりがありますね。課題です。 締めくくりに、松尾さんはこうもおっしゃっています。「この曲が初演されて以来、わずか32小節の中に凝縮されたドラマは世界中の人々を魅了してきました。技術的に困難を極める作品ではありませんので、音楽を楽しむことができれば・・・と思います」。うん、これは出来た・・・かな。
2007年7月4日 (ポンセのイ短調組曲より、ガボット) 今日の宅録音日記には、少し趣向を変えて、曲のことではなくて私がいつもどんなペースで練習しながら曲を仕上げてゆくかを、(そんなことに興味のある方も少ないでしょうけれど)書いて見たいと思います。 前回のアレマンデのアップが6月10日でした。ちょうどあのころから練習をはじめたので、このガボットをアップできる状態に仕上げるのにほぼ一月かかったことになります。私の練習時間は、毎日ほぼ45分から1時間です。週末には、昼に30分、夜に1時間という風に何回かに分けて練習することはありますが、1回の練習時間が1時間を越えることは、ほとんどありません。いろいろな事情で毎日練習することができないこともありますが、一日休んだら翌日と翌々日は必ず練習することを原則としています。1週間、「○○○○○○○」が理想ですが、「○×○×○×○」よりは「×○○×○○×」を良しとします。これらはすべて、生理学的な記憶と学習の効率を(ウサギの浅知恵で)考えてのことです。 ********************* 1週目: ゆっくり通して弾きながら、運指の検討。重点練習個所の洗い出し。とにかく、曲に親しむのが、この週のポイント。ほとんど音楽にはなっていない状態。 2週目: 運指の確定。暗譜。たかだか2ページなのに、なかなか暗譜が進まない。自分の頭はザルかと思う。内声やバスを歌いながら弾いてみたり、いろいろ遊んでみる。練習テンポは録音時の半分以下。重点練習個所は、ほとんど無テンポで指の器械体操のような練習。 3週目: ようやく、暗譜が安定してくる。でも、最初から最後まで通して弾く事はほとんどしない。暗譜の確認と通し練習は、朝、会社に行く前にサイレントギターで。朝イチの半眠りで間違いなく通せるようなら、仕上がりも近い。とにかく部分練習と、超部分練習の繰り返し。出しているつもりだけれど、出ていない音はないか? スラーなどは、実際は音が出ていなくても、指に残る弾弦の感覚が無意識に聴覚を置き換えてしまって、弾けたつもりになっていることがよくある。 4週目:
このあたりで、録音のことを意識し始める。最終的なテンポを決めて、細かいニュアンスも考えて・・・。メカニカルな問題点の部分練習も継続しながら、練習の焦点を、表現の方に移してゆく。曲にのめりこんで弾けるように。楽譜にフォルテと書いてあるから大きく弾くのではなくて、弾いているときの自分の気持ちが自然にフォルテを要求するように。自分の感情の起伏が、弾弦の感覚とシンクロするように。練習していて一番面白いのはこの段階。本当は、4週目に突然起こるわけではないけれど、演奏の習熟度が上がってくると、非連続的に器械体操が音楽に化ける点があるような気がする。逆にいえば、無機的な音のつながりが、ちゃんと音楽に化けられるように、メカニカルな問題をつぶしてゆくのが楽器の練習なのかも知れない。 たいてい、この段階でそれまで減ってきたミスが逆に増えるという現象が起こる。このガボットもしかり。今回は、このゆり戻し現象が大きく出て、先週末のテスト録音はミスの連続で全部ボツ。ミスのレベルを元に戻すのには、超スロー練習を3日ほど繰り返す必要があった。 ******************** この、「化ける」というのは不思議な感覚です。おそらく、私にもっとテクニックがあれば、初見の段階からだって「化けた」演奏ができるのでしょうけれど、音がきっちり出せるようになるまでは、あえて「化かさない」のが私の作戦です。弾けない状態で「化かして」しまうと、いつまでたってもきっちり弾けるようにならない。そんな気がします。
2007年6月10日 (ポンセのイ短調組曲より、アレマンデ) ほとんど二ヶ月ぶりの新録音です。ここのところ、公私共にストレスの多い状態で練習時間も減少気味ですが、曲の仕込みが遅いのはそのせいだけではないと思います。ある曲が弾けるようになるということは、何も指に新しい筋肉や神経が発生して弾けるようになるのではなくて、中枢が新しい運動を学習するのですから、微視的にはシナプスレベルの変化です。それでも、そこには明らかに何か具体的に物質的な変化が起こっているはずで、生体にそういう変化が起こるためには、必ず遺伝子の発現とタンパク合成が必要です。だから、栄養のあるものをしっかり食べて健康に暮らすというのも、案外ギター上達の秘訣かなあ、などと思ったりもします。 で、今回の課題のアレマンデ(アルマンド)ですが、けっこう手ごわい相手でした。スラー、左手指の独立と拡張、左右のコーディネーション・・・メカニックの練習曲としても秀逸だと思います。この曲が難しいのには、テンポの問題もあります。ある程度のスピードの必要な、速いアレマンデなんですね。アレマンデというのは、その名のとおりドイツの踊りという意味ですけれど、17世紀あたりからはだんだん踊られなくなって、器楽曲として様式化されてきたようです。コレッリやクープランには速いアレマンデもあったようですけれど、ヴァイスやバッハのアレマンデはゆっくりなものばかりです。たとえば、以前に録音したヴァイスのソナタ36番(SC番号)のアレマンデはこんな感じです。今回のアレマンデと同じ舞曲とは思えません。また、ヴァイスのリュートソナタでは、アレマンデの後にはほとんどクーラントかそれに類した曲が置かれるのが普通で、いきなりサラバンドにつながるという例を私は知りません。このあたり、ポンセもヴァイスの偽作をした割には、けっこういいかげんだなあと思います。まあ、だからといってこの曲に文句があるわけではなくて、むしろ大好きな曲なのですけれど。
2007年4月7日 (ソル、魔笛の主題による変奏曲) 今回はいろいろと薀蓄を並べる前に白状しておくことがあります。この魔笛の録音は張子の虎というか、切り貼り編集の産物です。とても全体を一気に弾ききって満足のゆくテイクを録ることは出来ませんでしたので、変奏ごとに何度も集中的に繰り返したものの中から出来の良いものを選んでつなげてあります。まあ、とは言っても、いくらなんでも全部のセクションをバラバラに録音したわけではありませんけれども・・・。とにかく、曲に思い入れがある分だけピリピリとテンションが上がってしまって、都合、二時間ほどで録音しましたが、疲れ果てました。 さて、この録音も「学生時代に挫折した曲に再挑戦」シリーズの一環と言えないこともないのですが、厳密にはすこし違うのです。というのは、当時、人から「ちょっと何か弾いてよ」と言われれば、私はたいていこの曲を弾いていましたから、むしろ十八番であったと言ったほうが良いのかもしれません。では、なぜその十八番に今更再挑戦なのかと言うと、しょっちゅう弾いていたわりには、まったくお恥ずかしい仕上がりだったからと言うほかはありません。弾き終わった後にはいつも、曲を弾いたと言うよりは、曲に振り回されたという感じがして、言葉で説明するのは難しいのですけれど、なんとも気持ちが悪かったものです。あーあ、またこんなデタラメになってしまった、という後味の悪さばかりが残りました。今考えれば、当時は自分の指を十分にコントロールしながらこの曲を弾ききるだけの技術はありませんでした。にもかかわらず、若さにまかせて力ずくの猛練習を重ねて形だけは弾けるようにしてしまったものだから、うねうねと並べたドミノの列の最初の一枚を倒すように弾き始めたら、その後はバタバタバタと首尾よく最後までたどり着くものやら、どこかで引っかかってばったり止まってしまうものやら、その日暮らしの風まかせ。いったいどんなエンディングを迎えるのか、さっぱりわかりません。ましてや、どんなテンポでどんな表現になるかなんて、指に聞いてくれ、という状態でした。そんな中にも、第2、3変奏のように比較的弾きやすい部分もあって、そういうところはある程度気持ちを込めて弾くことが出来ましたから、「いつかは、この曲全体を自分のイメージどおりに弾いてみたいものだなあ」と夢想する毎日でした。しかし、結局、なかなか出口を見つけられないまま月日は流れてしまったのでした。では、今なら十分に満足のゆくように弾けるのかといわれれば、齢48にして指さばき未だ心もとなく、到底、完璧に弾けるわけはないのですけれど、短い人生ですから、ここ数年の涙ぐましい修練(!!)の成果を試すべく、ここらで一つリベンジを試みても悪くはないでしょう。 私がギターを始めた今から30数年前、魔笛の主題による変奏曲と言えば難曲の代表格で、アマチュアが容易に弾きこなせる曲ではないとされていました。いや、より正確に言えば、私はそう思っていました。ところが、今では小中学生がこの曲を易々と演奏するのを目にすることもまれではなくなりました。時代の流れを感じずにはおれません。しかしながら、幼少時英才教育などというものに縁のなかった私にとって、この曲のハードルが高いことは、今も昔も変わりありません。地道に基礎練習に取り組み、メカニックのレベルアップをはかるというのが本筋ではありましょうが、それにしても何か工夫が必要です。そこで今回は、ちょっとユニークなアプローチを試みました。それは、何を隠そう「ゆっくり弾く」という画期的な作戦です。やれやれ、なんだか石が飛んできそうな雲行きですけれど、要するにどうせ速く弾く技術がないなら、いっそのこと徹底的にスローテンポにして、普段プロのCDなどで耳にするのとは全然別のイメージの音楽を目指せば良いわけです。これでもか、というくらいゆっくり弾く事で多少は技術的な余裕が生まれますから、その分、細かい部分に気を配った演奏が出来る・・・・はず・・・・です。また、すこし速いところは、実際には大して速くなくとも、相対的に速く聞えるのではないか、という姑息な計算も成立します。どれくらいゆっくりかというと、私の今回の録音が12分30秒。手持ちのCDの中から2、3拾ってみると、ジュリアン・ブリーム8分47秒、マヌエル・バルエコ8分10秒ほどです。あはは、もう、別の曲ですね。唯一、私の演奏時間に近いのは、ホセ・ミゲル・モレノで11分43秒かかっています。ところで、モレノの演奏(Glossa
GCD920103)は名演だと思います。一聴をお勧めします。 練習にあたっては、テンポを見直しただけではなくて、できるだけ自分の得意な指癖で弾けるように、右手の運指を徹底的に再検討しました。具体的には、第一変奏のスケールを三本指で弾くようにしたり、全体を通して親指を多用して、スケール的な音形も出来るだけアルペジオ的な右手運指で弾くようにしました。ところで、私はコーダに現れる(p)aimの指順のアルペジオが大の苦手なのですが、皆さんはどうでしょう。弾いていて気持ちの悪い、解剖学的に実に不合理な運動なのですけれど、このコーダを弾くためには避けて通れないので、とにかく、(p)aimaim・・という順の動きが違和感なく出来るようになるまで体に染みこませるしかありません。この(p指とima指のいずれかの組み合わせによる)重音を伴ったアルペジオは、よほど人間の指には不合理な運動らしく、あのカルレバーロ教本にも右手の重要練習課題として取り上げられています。アルハンブラをこの運指で弾いたりすれば、退屈せずに練習時間を稼ぐことが出来ますが、指を痛めやすい練習ですので、やりすぎは禁物のようです。
2007年2月17日 (ポンセのイ短調組曲より、プレリュード) なぜ、いまごろポンセのイ短調組曲を取り上げることになったのか、自分でもよくわかりません。昔懐かしいとおっしゃる方も多いかも知れませんが、私にとっては比較的最近まで聴いたことのない曲でしたから思い出の曲というわけでもありません。一つ思い出すことと言えば、大学を出て会社に入ってすぐのころ、配属先の先輩にどこかの大学のギタークラブ出身の人がいて、「君、ギター弾くんだって?ポンセのイ短調組曲は弾ける?」と聞かれたことがありました。こういう、弾くだけの技量があるか?と言う意味なのか、レパートリーとして持っているか?と言う意味なのかが極めて曖昧な愚問を発する輩を「テーノー」として軽蔑していた生意気盛りの新入社員だった私は、大胆にも「どんな曲だって、練習すれば弾けますよ」と言い放ったものでした。若かったんですね。先輩、ごめんなさい。ああ、穴があったら入りたい。でも、考えようによっては、我々がギターを弾くと言うことは、「どんな曲だって、練習すれば弾ける」ことを身をもって証明してゆく過程だと言えなくもありません。そういう意味では、今回のイ短調組曲の録音は、二十数年前の暴言の穴埋めだ言うことになります。 どうも、おかしな前置きになりましたが、この組曲を弾いてみようと思ったもう一つの理由は、言うまでもなく、この曲が当初ヴァイスの作品だとしてセゴビアによって初演されていることです。自他ともに認めるヴァイス好きとしては、どこがどれほどヴァイスなのか、一つ弾いてみようじゃないか、というわけです。しかし、詳しい楽曲分析などをするまでもなく、この組曲がヴァイスの作品だなんて、ちょっと、なんと言うか、いくらなんでも無茶でしょう。すごくギター的な作品だと思います。逆に、この曲をバロックリュートに編曲したらどんな感じになるんでしょうね。リュート弾きの皆さん、余興のネタにいかがですか? そういえば、録音したプレリュードについて何も書いていませんでした。つまらない話ですが、これはとてもよいスラーの練習になります。ワンテイクで全部をキメるのは至難の技です。今回採用したテイクでも、はずしているところがありますけれど、これは、ちょっと致しかたありません。
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