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宅録日記
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2004年12月31日 (ヴァイスのソナタ「不実・・」より ペザンヌ) ヴァイスのリュートソナタ29番、俗称「不実な女」の録音も、ついに最後の一曲となりました。2004年内の全曲録音を目指していましたが、なんと、押しに押して、どんずまり、大晦日の録音となってしまいました。ほんとうのところ、ミュゼットを再録音する予定ですので、仮完成なのですが、一応、目標は達成したといえます。この終曲に到って、今までのトルコ風・オリエンタル趣味は影を潜めて、このペザンヌは、異教徒を打ち破った王家をたたえるかのように、組曲の最後を飾るにふさわしい、技巧的で華麗な曲です。ですから、当然、快速に、華やかに、ダイナミックに弾くべきなんでしょうが、これは、私の最も不得意とするところです。 唐突ですが、曲を弾く時、特に録音をする時には、常に私の心中では、攻めようという気持ちと、守ろうという気持ちが拮抗しています。「攻める」というのは、心を開いて、自分が曲を弾いている時に湧き上がって来るエモーションというか、表現の欲求に身を任せるような演奏態度のことです。こういう弾き方をした場合、十分に曲の分析が出来ていて、指も動けば、とてもよい演奏になります。しかし、現実的には、我々アマチュアの場合、慢性的に技術が不足していますから、かわいそうな我が指は、激情に流されて疾走する弾き手の心の1拍か2拍くらい後ろを、あっちで転び、こっちで転びしながら、傷だらけになって追いかけてゆくことになります。要するに、ボロボロです。こういう、不満足な事態を避けるために、現実的には、ある程度、「守る」というアプローチをせざるを得ません。守った場合、演奏中には、必ず弾いている自分とは別のもう一人の自分がいて、ご丁寧に、あれこれと「有益な」指示をしてくださいます。やれ「次のパッセージは、mから弾きはじめるんやぞ、忘れるなよ」とか、「次のバスは、Aやぞ、Eとちゃうぞ、いつも間違えるやろ」とか、「おまえ、なに手に汗かいてんねん、すべるやないか」とか、「今のとこは、上手いこといったなあ、もしかしたら、このテイク、OKかもしれへんなあ」とか・・・・こういう声に耳を傾けながら弾いた場合、一般に、テンポは落ちて、ダイナミクスの幅は狭まり、のっぺりとした起伏の少ない演奏になりがちです。それでは、守った分だけ、間違いが減るかというと、そうでもなくて、かえってたくさん間違えてしまったりします。要するに、どちらにせよ、間違うのです。では、どうすればよいのか?というと、決定的な対策はない、といわざるを得ません。この二人の自分という問題は、ステージでの「あがり」とも深く関連しています。決定的な対策はないけれども、自分なりに考えていることなどを、そのうちに、まとめてみたいとは思っています。 さて、話が大幅に横道にそれましたが、今回の録音は、自分としては、かなり攻めたつもりです。結果的に、指のスペックを越えたテンポとなって、明らかに指の回らない部分もあります。1ギガのCPUを1.5ギガくらいで走らせているようなもんで、録音セッション中は、かなり頻繁にフリーズしました。しかし、その分だけ、気合のようなものは伝わる演奏になっていればよいなあ、と思います。リアライゼーションも、今回は、ノースやカルダンの録音を離れて、かなり自由に弾きましたが、それでも、タブラチュアにある装飾などは、極力指定どおりに弾くようにしました。それにしても、攻めても揺るがない技術、そういうものがほしいと思う、年の瀬でありました。 2004年11月27日 (ヴァイスのソナタ29番より ミュゼット) ヴァイスのリュートソナタ29番の録音も、これで5曲目。今回、取り上げたのはミュゼットです。異教徒としてのトルコ人、イスラムを主題とした、俗に「不実な女」と呼ばれるこのソナタの中でも、最もエキゾチックな曲といえるでしょう。組曲全体の方向を決めるような、中心的役割を果たしているように思います。 ミュゼットというのは、17世紀末から18世紀中頃にかけてフランスで大流行した、ダブルリードの小さなバグパイプのことだという事は、以前に掲示板に書きました。バグパイプの一種ですから、あの継続して鳴り続けるドローンという音が特徴的です。このドローンには、ほぼ例外なく、キーのトニックかドミナントが用いられます。ミュゼットというタイトルの曲は、たいてい、この楽器の音を模倣していて、このヴァイスのAマイナーのミュゼットでも、曲の冒頭から、ドローンの効果をねらって、低音弦でAとEを延々と連打してをいます。これも以前に掲示板に書いたことですが、私は、ヴァイスは、実はミュゼットではなくて、ズルナと呼ばれるトルコのオーボエ(クラリネット)の音をイメージしていたのだと思っています。その音がミュゼットに似ていたので、まあ、ミュゼットというタイトルをつけておいたと。もちろん、大した根拠もない思い込みではありますが。 演奏のほうは、比較的単純な曲想ですから、大した変奏を施すでもなく、ほとんどストレートにタブラチュアどおりに弾きました。もちろん、まったく同じ事を繰り返さないように、一部装飾を変更したり、ロンドン・ドレスデン手稿譜のパートを所々入れ替えたりしてあります。エンディングに、急速な下降スケールを入れてアクセントをつけましたが、ちょっと木に竹を接いだような感じになってしまったかもしれません。もう少し上手い終わり方を研究中です。テンポももう少し速くても良いとは思いますが、まあ、これくらいの速さでも、これはこれでいいのではないかと思っています。
2004年11月26日 (ソレア) レポートの旅行記のところに詳しく書きましたが、先日、一週間ほど、スペインへ旅行に行ってきました。「旅行のテーマはフラメンコだった」と言っては大げさですが、フラメンコ関係のショップやタブラオを多く訪ねましたので、レコーディングのほうも、ぐっと趣向を変えて、フラメンコっぽいものを録音してみました。 スコット・テナントのパンピング・ナイロンを、メカニックの教本として、私はとても高く評価していますが、あのテナントが、相当なフラメンコ・ギターの弾き手であることはよく知られています。そういうこともあって、パンピング・ナイロンの中でも、繰り返し、テナントはフラメンコのテクニックを学ぶことの効用を説いています。この教本には、別冊になった二巻の応用練習曲集があって、第一巻が初・中級向け、第二巻が中・上級向けの曲集となっています。今回録音したのは、その第二巻に収録されている、アダム・デル・モンテによるソレアです。あくまで、メカニックの練習曲として採譜されていますので、ゴルペなどは省略されていていますが、技術的な難易度はけっこう高いといえると思います。 このソレアをしばらく練習してみて、「フラメンコはクラシックを弾くものにとっても、とてもよいメカニックのトレーニングになる」というテナントの主張に強く共感しました。ラスゲアードは、理想的な伸展筋のトレーニングといえますし、この短いソレアをとってみても、スラー、アルペジオ、スケールと、ほとんどの技術要素がカバーされています。また、なんと言っても、こういう要素が、かっこいいファルセータとして、楽しく、飽きずに練習できるのが良いと思います。 私のこの録音は、フラメンコと言うには、ちょっとさしさわりがあるようなウソ・フラメンコですし、指の遅さが露骨にバレている部分もありますが、たまにはこういうものを弾くのも楽しいものです。今後も、基礎練習の一部としてフラメンコを練習してゆきたいと思います。 ちなみに、今回の録音に使用した楽器は、10年位前に発作的に衝動買いした、ビセンテ・サンチスのフラメンコギター(杉・メーブル・ぺグヘッド)です。
2004年10月22日 (ソナタ29番より サラバンド) 今回の使用弦は、プロアルテ、コンポジット、ノーマル・テンション、ライトリー・ポリッシュドです。サウスウェルとの相性は、とても良いように思います。 バロック時代の音楽では、楽曲の演奏にあたって、演奏者の裁量に任されている部分がとても大きいことは、皆さんのご存知のとおりです。数字付バスで書かれた通奏低音がよい例で、使用する楽器さえ指定されていないのが通例です。同様に、ヴァイスのリュートソナタには、プレリュートの存在しないものが多くありますが、これは、組曲の演奏に先立って、演奏者は、プレリュードを、適宜、即興するのが常識であったためだと思われます。ですから、現存するプレリュードのタブラチュアのほとんどは、そのとおりに弾かねばならない作品というよりは、ロンドン大学のティム・クローフォードによれば、むしろ、経験の浅い生徒のために、ヴァイスが模範演奏例として書き残したと考えるのが妥当なのだそうです。また、ソナタの舞曲部分は、多くの場合、AA’BB’の形式で書かれていますが、A’とB’の部分は、単にAとBを同じように繰り返すのではなく、演奏者がそれぞれに独自の工夫を凝らして変奏したようです。このあたりの奏者の個性の聴き比べが、古楽を聴くたのしみの一つであると同時に、また、実際に自分で演奏するとなると、悩みの種ともなるわけです。 以前にも書いたように、ここでのL’Infideleの演奏にあたっては、上に書いたようなリアライゼーション(装飾とアドリブ)は、ナイジェル・ノースの録音(LINN
Records CDK006)から採譜して、それを可能な限りギターに移すという方針を採用しました。言ってみれば、猿真似です。それでも、知識もないのに自分のアイデアにこだわってデタラメを弾くよりは、猿真似であっても、最初のうちは、良い例から学ぶことは、決して悪いことではないと思うのです。もちろん、こういうこともあって、私の演奏に「音楽的(修辞的・和声的)な意味を理解せずに弾いている」という印象が出てくるのだと思いますが、まあ、その辺のことは、すでに自分の問題意識に上ってきていますので、ぼちぼち、あきらめずに勉強してゆくうちに、いずれは改善されるのではないかと、半ば他人事のように、淡い期待を抱いています。 さて、このサラバンドですが、緩やかな曲だということもあって、ナイジェル・ノースは、実に大胆な変奏を試みていて、「そんなの、ギターで出来ないよー」という個所が続出します。したがって、楽器の機能上の違いから、不自然であったり、上手く鳴らない部分も多くあると思いますが、そこは、一種の実験だと思って録音しています。上手く行かない部分は、いつになるかわからないけれど、次の録音までに対策を講じれば良いと考えれば、気も楽になります。実際、昨年、ソナタ2番を録音していたころから比べてみると、若干のノウハウも蓄積されてきました。例えば、アポジャトゥーラやその変形として現れるトリルの非和声音は、サスペンジョンであることが多くて、一つ前の和音の中の和声音として、前もって用意されていますから、この音を、一つ前からトリルしやすい指で、多少は押さえ難くとも、無理して押さえておきます。そうして、この指をピボットに使って次の和音を押さえると、アポジャトゥーラやトリルの下降スラーが、そのまま、押さえなおしをせずに、無理なく始められます。言葉で説明すると、やたらに、ややこしいですね。まあ、私が勝手にうれしがっているだけで、こんなことは、誰でも気づいていることなのかも知れませんけれど。 これを録音する2日ほど前に、イョーラン・セルシェルの新譜、11ストリング・バロックを聴きました。いまさらながらに、あきれるくらい上手いですね。選曲も、演奏も、すばらしいアルバムだと思います。でも、何か違うんですね、私の求めているものとは・・・彼が、L’Infideleを弾いたら、どんな音楽になるのでしょうね。
2004年10月1日 (ソナタ29番より クーラント) ヴァイスのクーラントを再度録音してみました。しばらく前に録音したときには、後半が空中分解してしまって、ああだ、こうだと掲示板で大騒ぎをしたあげくに、「テクニックがないだけでしょ」という厳しいコメントまでいただいてしまいました。今回は、その復讐戦というわけですが、どうも、返り討ちにあっているような気もします。 もちろん前回から、かなり練習はしましたが、ほんの2、3週間で大幅に技術の向上するわけもありません。おそらく、音数、装飾、及びバスラインに関して妥協をすれば、かなり弾きやすくなるとは思いますが、ここでは、ほぼ原曲どおりの装飾を盛り込んで、弾きやすさよりも、ヴァイスらしい響きの方を優先しました。以前にも書いたかも知れませんが、ギターで弾くヴァイスが、どうも、今ひとつ物足りないのは、一つには、装飾が大幅に省略されている事が多いためだと思います。装飾といってもトリル・モルデント等ではなくて、リュートの隣接2弦を使ったアッチャカトゥーラのようなものは、ギターでも、出来る限り、そのとおりに再現してやることがとても大事だと思います。これは、形式的には前打音だといっても、曲中、あちこちに不協和音として鳴り響いて、ハーモニーの一部を構成しているわけで、その省略は、曲の本質にかかわる変更ではないでしょうか。とは言うものの、実際にギターで弾くとなると、左手の運指に大きな無理をしいることになり、結果として、どことなくギクシャクしたり、テンポがあがらなかったり、あるいは、まったく弾けない、ということなります。ですから、ヴァイスをきっかけにオリジナル楽器であるリュートの世界に入ってゆく人がぞろぞろ現れるのは、まったく、無理からぬことだと思います。 毎度のことではありますが、やはり今回も、トリルの処理ではずいぶん悩みました。ギターのトリルは、けっこういいかげんに弾かれる事も多くて、出だしだけ、タリラリっと(上からのパターン)1、2回上下運動をしたあと、しばらく無音の空白があって、突然、末尾のラリラン(下からのパターン)につながる、あるいは、末尾が完全に省略されることもまれではありません。逆に、グッとリタルダントのかかったエンディングのカデンツでは、(例えば、バッハのシャコンヌの最後など)隣接2弦を使ったやたらに派手で場違いな、長いトリルが唐突に出現したりして、目をパチクリさせられることもしばしばです。リュート奏者は、鍵盤楽器やヴァイオリンのように、音符の音値分だけ連続した、スタンダードなトリルを弾くように思います。装飾が音楽に溶け込んでいるのが、耳に心地よいです。あれが、なぜギターでは、上手く出来ないのでしょうか。今度の録音では、こういう点について、できるだけ妥協せずに、自分なりにベストをつくしたつもりですが、まあ、所詮、「ウサギの芸」ではあります。理屈に走っている分だけ、非音楽的な、クーラントらしくない演奏になっているかもしれません。 そのほかにも、フランス風クーラント対イタリア風コレンテのことなど、あれやこれやと、考えていましたが、これについては、あまりに長くなりますので、改めて書きます。また、上に書いたことは、あくまで、浅学の輩、蚊帳吊りウサギの寝言でありますので、学問的に正当な意見だという保障などは、もちろん、まったく、ありません。むしろ、噴飯ものの珍説である可能性が大きいわけで、その点、どうぞご理解の上、お読みください。 さて、録音そのものは、このわずか3分の曲に、2日かかりました。まあ、2日といっても、3、40分のセッションが2回ということです。初日は、「堅実に、堅実に」という気持ちが勝ちすぎて、テンポを控えめにした結果、まったく生気のない演奏になってしまってすべてボツ。前回の全滅に引き続いて、二連敗と相成りました。玉砕覚悟で臨んだ2日目も、最初は、あまり希望の持てない状態でしたが、コケの一念、なんとか今回のテイクをものにすることが出来ました。難所の続く後半でブレスが出来ず、息が上がって弾けなくなるということが続きました。呼吸法の練習をしなくては、と痛感しました。こんなことでは、この曲、とても人前で実演など出来ません。それにしても、発表会やコンクールなどのプレッシャーのかかる状態で、安定した演奏の出来る皆さんの地力には、ただならぬものがあると思うこと、しきりです。
2004年8月10日 (ソナタ29番より メヌエット) 今回は、ややこしい話はありません。とにかく、録音しました。以前に、この組曲の中で一番易しい曲、などと書きましたが、私くらいの腕前の者にとって易しい曲なんてありませんね。メヌエットというのは弾いてみると、聞いた感じよりはずっと速いテンポの曲です。結局、ひと月以上かかってしまいました。もう、練習の主眼は、次のクーラントの方に移しましたけれど、こちらは、相当に大変そうです。次の録音は9月の末くらいになってしまうかも知れませんね。あるいは、10月か・・・やや落ち込みモードの蚊帳吊りウサギであります。 ここのところ、ネットを「L'Infidele、不実な女、ギター、リュート」などのキーワードで検索していて、この組曲はかなり有名な曲なのだということを知りました。そして、「不実な女」という誤訳が完全に市民権を得てしまっていることも。これには、シルヴィー・バルタンのナンバーに同名の曲があることも、遠因しているのかもしれません。まあ、そんなことはさておき、この曲のギターへの編曲譜は、現代ギター別冊の「名曲演奏の手引きY」にも収録されているのですね。 しかし、確信があるわけではないのですが、6弦ギターで弾くヴァイスが、なんとなくリュートに比べて聞き劣りするのは、楽器のせい(音色や音域)だけではないような気がします。ギターでも、十分に説得力のあるヴァイスの世界を再現することは出来るのではないかと、私には思えてなりません。これについては、ロンドン手稿譜の全曲録音を最後のCD一枚にまでに追い詰めた、ミッシェル・カルダンが、インタビューに答えて面白いことを言っていますのでそのうちに紹介します。今日は、なんとなく、これ以上まとまった文章を書く気にならないので、この辺で。
2004年8月2日 (ソナタ29番より メヌエット) どうも最近は、宅録にウンチクを書くのが習慣になってしまいました。ただでさえ理屈の多いホームページなのに、これ以上頭でっかちになるのはマズイなあ、とも思うのですが、せっかく調べたことですから、そのまますぐに忘れてしまうのはどうももったいないように思います。あくまで、自分の覚えのためのつもりで書いていますので、うっとうしい向きは、どうぞすっ飛ばしてください。 今回のウンチクは、2点。メヌエットとトルコ音楽についてです。このヴァイスのメヌエットを弾きながら、2年前に受講したオープン・ユニバーシティーのコースで、メヌエットについては、けっこう詳しく習ったことを思い出しました。テキストを引っ張り出して読み直してみると、やっぱり、役に立ちそうなことがたくさん書いてあります。バロック様式についてのかなり長い章の一部なのですが、自分なりに抄訳・加筆してまとめておきました。ご興味があれば、レポートのメニューから、ご覧になれます。 さて、この ヴァイスのソナタ「不実なる者」がトルコを題材にした音楽であることは、すでに書きました。モーツアルトのピアノソナタにも、有名なトルコ行進曲がありますね。これらトルコ○○と名づけられた音楽の、一体どこがトルコ風なのか、私には長い間さっぱりわかりませんでした。ところが、数年前にトルコに旅行に行った時、イスタンブールの軍事博物館で、メフテルという、世界最古とも言われるトルコ軍楽隊の実演を聞いて、眼から鱗が落ちるように「ああ、これだったんだ」と思ったものです。つい、CDまで買ってしまいました。これは、短2度の音程がどうのと、口で説明しても歯がゆいばかりですので、とりあえずこちらを聞いてみてください。17−19世紀のヨーロッパ人の耳に入ったトルコ音楽といえば、ひしひしとキリスト教陣営に迫る、トルコ軍の軍楽隊の音楽であったことは、間違いありません。この、我々の耳にはややユーモラスなメロディーも、時の西欧人には、残虐この上ないことをもって知られるトルコ軍の侵攻を告げる、血も凍るような音楽であったことでしょう。 さて、録音ですが、全部ボツとなりました。したがって、今日はmp3のアップはありません。詳細は、まあ、書き出すと愚痴になるので書きませんが・・・ とりあえず、込み合っているバスの音を少し省いたり、装飾に無理のあるところを簡略化したり、編曲譜を手直しして、もう少しだけ弾きこんでみることにしました。
2004年7月18日 (ソナタ29番より アントレ) さて、今回の録音は、ヴァイスのソナタ29番「L’Infidele」(不実なる者)から、アントレです。一応、全曲録音の予定の第1回ということであります。 まず、例によって薀蓄(ウンチク)を3点ほど・・・ ソナタという名称とその番号 ヴァイスのソナタは、組曲と呼ばれたり、パルティータと呼ばれたり、一向に統一される気配がありませんが、ここでは、ヴァイス本人が好んだ名称、ソナタを使います。いづれにせよ、同一のキーの舞曲を並べたバロック組曲という形式です。また、ソナタにふられている番号も、大いに混乱しています。混乱の理由は、長くなるので書きませんが、私のHPではダグラス・アルトン・スミスによるナンバリングを使っています。スミスのシステムによる全集は、ロンドン手稿譜がピータース(スミス編)から、ドレスデン手稿譜がベーレンライター(クローフォード編)から刊行されています。この「L’Infidele」は、キエザのシステムによれば、25番ということになります。 「L’Infidele」(不実なる者)というタイトル 「不実な女」としてある譜や文献もあるようですが、(残念ながら)このタイトルは、やはりキリスト教徒に対する異教徒としてのイスラム教徒・トルコ人を指すと解釈するのが妥当なようです。17世紀後半、オスマントルコはキリスト教圏に迫り、一時ウィーンを包囲するにいたりますが、これに対抗するキリスト教勢力のリーダーであったのがポーランド王、ヨハン三世です。ヴァイスの仕えていたドレスデンの宮廷は、このヨハンの後継の支配化にありましたから、このソナタには、異教徒を打ち破った偉大な王(ヴァイスの雇用主)をたたえる意味合いがあったのでしょう。 エディションについて このソナタはロンドンとドレスデン手稿譜に重複して収録されていますが、ドレスデン版は、11コース用のオリジナルのロンドン版を13コース用に改編したものです。今回の録音に使った譜は、Philippe
Meunierがドレスデン手稿譜をギター用に編曲したもの(Breitokopf版)を大幅に改訂したものです。改訂の内容は、1.ロンドンとドレスデンで異なっている部分は、そのほとんどをロンドン版に準拠するように改めたこと、2.リアライゼーション(装飾とアドリブ)をナイジェル・ノースの録音(LINN
Records CDK006)から採譜して、可能な限りギターで再現できるように編んだこと、です。 さて、実際の録音ですが、技術的には「スラーを丁寧に」ということを心がけたつもりです。聞いて見るとそれなりの成果は上がっているようですが、やはりまだ、いたらない所も多く、今後の課題です。前半と後半を1回ずつ繰り返す、AA’BB’という形式ですが、1回目はシンプルに、2回目はふんだんに装飾をしてというアプローチをとっていますが、録音するとなるとつい緊張してしまって、二ヶ所ほどせっかく練習したトリルを入れ忘れています。力尽きたというか、まあ、不精なもので、再録音はしませんでした。しかし、掲示板で話題になった「隣接2弦を使ったトリル」は、ソル好きさんに教わった運指を使って挿入してあります。Aマイナーというキーのせいか、この曲はギターでもリュートと比べて、さほど遜色のない響きがするように思います。
2004年6月19日 (ディアンス タンゴ・アン・スカイ) すごく長いですが、一月前の練習メモから引用します。 **************** 最近は、普通に生きてゆくためでさえ、覚えなければならないことが本当に多いですね。昔は「読み、書き、そろばん」ですんだのでしょうが、今やパソコン・インターネットなどの情報関連のスキルはいうに及ばず、素人でも多少の株式投資や個人年金などの知識を持っていなければ、安心して老後もむかえられないような世の中になってきました。ところで、話は変わりますが、何か知らないことを学習したり、新しい技術を身につけようという時には、大雑把にいって二通りのアプローチがあると思います。一つは「地上侵攻型」で、もう一つは「パラシュート降下型」です。 「地上侵攻型」は、正攻法。じっくりと前線を押し込みながら、敵の本拠地に迫ります。「パラシュート降下型」は、夜霧にまぎれて、いきなり核心に迫る奇襲作戦です。例えば、外国語でスピーチをしなければならなくなったとして、初級レベルから文法なども含めて、じっくり学んでゆくのが「地上侵攻型」なら、スピーチの原稿にカタカナの振り仮名をつけて、わけがわからなくとも、ともかくしゃべってしまうのが「パラシュート降下型」です。ふつう「地上・・」は、学習効果の点ではベストだが時間がかかり、「パラ・・」は、手っ取り早いが、応用が利かない、という風に考えられると思います。けれども、私は「パラシュート降下型」のような、直接自分の目的にストレートに迫る方法は、効率の点だけでなく、効果の点でも、案外、正攻法をしのぐことが多いのではないかと、最近になって思うようになりました。まず、自分の知りたいことを、知りたいレベルで学習する。はじめから、自分が最も興味を持っていることを学ぶのですから、退屈な基礎の学習の段階で意欲を失ってしまう危険を回避することが出来ます。そして、付け焼刃では間に合わない部分だけを、選択的に基礎に向かって逆方向に勉強して、補強するのです。仕事の上で新しい分野の知識が必要になったような場合、最近では、私はこういう方法で勉強することが多いです。もちろん、時間と体力と気力が許すなら、入門的な教科書を一通り読んで、その分野の全体像を鳥瞰しておく、というのもとても有益であることは言うまでもありません。 さて、なぜまた、こんなことを言い出したかというと、またもや、タンゴ・アン・スカイです。最近、hisayoさんがアップされた録音が、2分43秒。ひきがえるさんにいたっては、2分25秒でした。私が、あれだけ大騒ぎして練習した結果が、2分55秒というのは、ほんとに情けない。ああ、この指、何とかもう少し動くようにならないものか。こういうことを書くと、あまりにバカバカしく、誤解と物笑いの種になるであろうことは、重々承知しています。いつから、ギター演奏は陸上競技の仲間入りをしたのか! しかし、私には、なんとなく、このあたりのことが、自分のギターへの取り組みを考える上で、特にメンタルな点で、重要なヒントを与えてくれるような気がして仕方がありません。 今、タンゴ・アン・スカイをメトロノームで126のスピードで弾けるようになるのが目標だとしましょう。ディアンスのCDのテンポですね。きっちりと暗譜をして、80くらいのスピードから、1目盛りずつじっくりとスピードを上げてゆくのが、「地上侵攻型」、誰もが薦めるオーソドックスな練習方法ですね。でも、皆さんは、こういうアプローチで壁にぶつかったことはないでしょうか。私は、タンゴ・アン・スカイをこのやり方で練習して、時速100キロくらいでこの壁に正面衝突したような気がします。このやり方だと、すべての音がきれいに鳴って、ある意味で、とても丁寧に仕上がるのですが、目標テンポのはるか手前で進歩が止まってしまう、ということがよくあります。とりあえず、110では完璧に弾けるようになった。調子の良い日は、116も何とかクリアできる。ところが、翌日やってみると、やはり110でしか出来ない。何日か練習していると、また、たまに116で出来る、ということを、いつまでも繰り返しているという状況に陥ります。 これは、自分の体が新しいアプローチを求めているというメッセージではないでしょうか。自分の手が「もうこんな練習はいやだよー」と言っているのではないか、と思うのです。別の言い方をすれば、スピードの点で過負荷がかかっていないのが問題なのかもしれません。適度なオーバーロードはトレーニングの基本ですから。では、ここで「パラシュート降下型」の作戦を適用するとどうなるか? この場合、いきなり目標の126で練習するわけです。しかし、116でさえ出来ないのに、どうやって126で弾くのか? いろいろ考えたのですが、弾けないといってもすべての部分が弾けないわけではありません。曲を細切れにして、126で弾ける部分と、弾けない部分に分けてしまえば良いのではないでしょうか。弾ける部分は、126のテンポで弾いて錬度を上げ、弾けない部分は、徹底的に分割して、それこそ小節をいくつもの部分に分割した「超部分練習」をするのです。それも、すべて目標の126で。もちろん、その細かなパーツに対しては、部分的に「地上侵攻型」のアプローチをする必要が出てくることはありうると思います。そうして、すべてのパーツを126で弾けるようになったら、今度はそれらを、ひとつずつ、ジグソーパズルでもするようにつなぎ合わせたらどうでしょうか。 とんでもない大屁理屈ではありますが、ここしばらくは、こういう考え方で、引き続きタンゴ・アン・スカイに取り組んでみたいと思います。さて、どうなることやら・・・・ ************************** というわけで、この一月ほど、飽きもせずにタンゴ・アン・スカイを練習していました。メトロノームは、結局上に書いた126よりさらに1メモリ上げて、132としました。メトロノームを使わないで弾いた時にダレる分を上乗せしたのですね。その結果が今回の録音です。取り下げてあった以前の録音も、やはり、愛着があるので再アップしました。ディアンスが2分32秒、今回の録音が2分34秒ですから、コケの一念、目標を達成したといってよいでしょう。もちろん、テンポが上がった分、荒っぽくなりました。音が欠けている部分も多いですが、自分の殻を破るための試みとしては、こういうこともたまには必要なのだと思います。
2004年6月11日 (タレガ エンデチャとオレムス) 録音のスペックのことは掲示板で色々とお話ししたように、今回の録音は、24bit・96KHzで録音したものを、16bitのwavファイルにミックスダウンし、さらにそれをウィンドウズのメディアファイルに変換したものです。あまり、オーディオマニアのサイトのような話になるのもいやなので、ここではいつものように音楽の話を書きたいと思います。 この録音は「宅録でたどる我が青春」シリーズ、第一弾です。今を去ること27年前の夏休み、大学のマンドリンクラブの夏合宿が、北海道は大雪山の麓、「国立大雪青年の家」でありました。この合宿中に行われた新人発表会で、私はこの「エンデチャとオレムス」を弾きました。18歳のガキにしては、渋い選曲でした。先輩たちの前での演奏ということもあって、緊張してしまって上手く弾けず、けっこうがっかりしたのですが、3年生のギタートップは「ちょっとビビッたみたいだったけど、いい音だったよ」となぐさめてくれました。 この曲は、タレガの曲の中でも、最も悲しい曲なのではないかと思います。とてもゆっくり弾かれることが多いですが、楽譜を見ると、エンデチャはアレグレット、オレムスはアレグロとなっています。悲しみ直面した時の人の反応に静的なものと、動的なものがあるとすると、たとえば、ラグリマの中間部は「じっと唇をかみ締める」ような静的な悲しみ。オレムスには「混乱した頭で雑踏をさまよう」ような動的なものを感じます。だから、楽譜にあるように少し速めのテンポで弾きたいのですが、これが易しくありません。左手の押さえが、ポジション移動を伴って忙しく変わりますから、なかなかスムースに弾けません。ですから、私の録音は、かなりの妥協の産物ですが、まあ、できるだけの努力はしたつもりです。以前に、男性脳の人はタレガが苦手、というような話になったことがありますが、聞きなおしてみると、確かに無骨なタレガですね。 さて、この「宅録でたどる我が青春」シリーズ、今後も続くかどうかは、もちろん、保証の限りではありません。 2004年5月14日 (ディアンス タンゴ・アン・スカイ) まったく、柄にもないものを練習し始めてしまったものだと思います。実は、先日、ビランダンゴスの「アルゼンチン・タンゴ集」というCDを買ったのがことの始まりです。そのCDの中のピアソラの「リベル・タンゴ」があまりにかっこよかったものなので、しばらくの間、頭の中にいつもタンゴのリズムが刻まれていて、すごくおかしな気分でした。そういうわけで、なんとしてもタンゴが弾きたくなって、飯泉さんのタンゴ集の楽譜も買ったのですが、どうもビランダンゴスのアレンジとは違うイメージで、なかなか手がつかないうちに、ふと、昔、買って積んである楽譜の山をひっくり返していると、このディアンスの楽譜が出てきたのです。 こういう、いわゆる「流行の曲」に手を出すのは、「11月のある日」以来ではないでしょうか。とはいえ、「タンゴ・アン・スカイ」と「11月のある日」では、かなり要求される技術レベルが違います。「タンゴ・アン・スカイ」というのは、私の感覚では、典型的なアンコール・ピースで、技術のありあまっている人が、さりげなく、顔色一つ変えずに「バシッ」っときめてこそ映える曲です。額に油汗を浮かべながら、青息吐息で弾くのでは、サマにならない。要するに、自分には無理な曲だ、と思っていました。実際、楽譜の裏には、「タンゴ・アン・スカイ、再び」という題のディアンスのコメントがついていて、これを読むと、彼がこの曲をどういう風に弾いてほしいと思っているのかがよくわかります。(ご参考までに、全文訳出しておきました)でも、人間、百と八つの煩悩を抱えて生きている以上、たまには「血迷う」あるいは、「魔がさす」ということがあるわけで、私もその普通の人間であるわけですから、時には「タンゴ・アン・スカイ」を弾きたくなることがあっても、不思議ではないのです。決して、笑ってはいけない・・・・ さて、音をひろってみて驚いたことは、「聴いた感じよりも、はるかに弾きやすく書かれている」ということでした。これは、まあ、基本的に即興で作られたアドリブの寄せ集めのような曲としては、当たり前のことなのかも知れません。もちろん、速い部分の運指には工夫が必要でしたが、ギター版ヴァイスのように「非人間的」なところはぜんぜんありません。だから、ゆっくりならば、楽に弾ける動きばかりなのです。では、何が難しいかと言えば、これはもう、スピード、リズム、アクセントの三点に尽きます。これだけのややこしい音型を、ディアンスの言うように、終始イン・テンポで、タンゴのリズムの中に放り込むのは、至難の業です。ディアンスの録音のテンポは、メトロノームで128ほどですから、「90%の法則」を適用すると、私の目標テンポは116ということになります。こんなかっこいい曲を練習しながら、こういう計算をしている自分が、いささか、情けなくはあります。結局、掲示板にクダクダ書いたように、予定のテンポにはやや足りませんが、そろそろ現時点での限界が見えてきたようなので、見切りをつけてアップすることにしました。1999年の夏にギターを再開してから、ほぼ5年になりますが、再開当時の技術では到底弾けなかった曲です。ですから、40を過ぎてもメカニック向上は十分可能だということを証明するという点で、自分にとっては、とても意味のある録音だと思っています。 さて、テンポ比較は、これで次のようにまとめられます。 福田進一 2:28 97% 10秒さがって師の影踏まず・・・・ 2004年5月1日 (ブリテン・ダウランド 深き眠りよきたれ) うつ病で不眠症の(ほんとかな?)ダウランドが書いた、聴いているだけで死んでしまいたくなるようなリュートソング、「深き眠りよ来たれ」を主題に、ベンジャミン・ブリテンが作曲して、ジュリアン・ブリームに献呈したのが、あの名曲「ノクタータル」ですね。この曲を、私は山下和仁のLPで、はじめて聴きました。パリコン優勝直後に発売されたアルバムでしたから、1979年のことです。大学二年生でした。事実上、初めて聴いたゲンダイオンガクでしたが、不思議とすんなりと聴くことが出来て、私のお気に入りの曲となりました。特に、パッサカリアの最後に、テーマの現れるところが、なんとも言えず神秘的で、「このテーマだけでもよいから、いつかは弾いてみたい」と思っていました。それが、先日仕入れたブリームのDVDに収録されていたものですから、ちょうど良い機会だと思って、楽譜を買ってきて二段譜を一段に書き直し、DVDをコマ送りしながらブリームの運指をコピーして、練習を始めました。せめてパッサカリアだけでも、通して弾ければよいのですが、ちょっと気力・技術面ともに、荷が重いように思います。 このテーマは、基本的に4声で書かれていて、すべての声部を楽譜のとおりに弾こうと思ってもギターでは無理です。ですから、音値の保持などの面で、かなり妥協を強いられます。さすがに、ブリームはこういうところが上手いですね。とてもよく考えられた運指で、複数の声部がきちんと弾かれているかのように、ギターを鳴らしてゆきます。今回の録音では、勉強のつもりで、自分の表現をするというよりは、とにかく、ブリームのように弾くことを目標にしました。それでも、歌と言うのは、本来、自分の中にある歌い方しか出来ないようで、録音して聞いてみれば、やはりそれは、自分の演奏以外の何物でもない、というのは、まあ、当たり前の事とは言え、おかしなものです。それにしても、ブリームは、やはり上手いです。私の弱音は、ささくれ立っていて汚いですね。今回は、少し爪が短かったせいもあるでしょう。 最近は、オリジナルのテイクにオーケストラホールのような残響効果をつけて、出来るだけギター本来の音が聞こえるように加工していましたが、今回は、以前のように教会風の効果を加えてあります。この曲には、どうしても長いサステインが必要なように思うからです。mp3にする際には、最近のダウンロード環境の改善を考慮して、128kbp/44.1kHz
と、今までの64kbp/22.05kHz
から比べると、はるかに高音質で圧縮しました。 ご存知のように、私のサウスウェルは、ブリームがDVDで使用している1940年のハウザーをコピーしたものです。確かに、形がそっくりなだけではなくて、とてもよく似た傾向の音がします。ただ、ブリームの楽器の音のほうが少し甘いようです。これは、私の弾き方が悪いという事もあるのでしょうけれど、私のサウスウェルがまだ若い楽器だ、ということも影響しているのでしょう。かれこれ10ヶ月ほど弾いていますが、キンキンしていた高音が少し落ち着いて、角が取れてきたように感じます。今後がとても楽しみです。 おお、今回の宅録日記には、愚痴も言い訳も書かなかったぞ。いや、最後のパラグラフは、やはり、いい訳か、、、、 2004年3月30日 (ヴァイス ファンタジー) さて、今回の録音はヴァイスのファンタジーです。ヴァイスに、ファンタジーという名前の曲はたくさんありますけれど、これは、あの、誰でも聞いたことのある有名なファンタジーです。自ら「ヴァイス好き」と称する蚊帳吊りウサギとしては、これを録音しないで済ますわけには行きません。この曲と言えば、どうしても思い出さずにはおれないのは、NHKの「ギターを弾こう」のテーマ曲として毎週聴いた、渡辺範彦さんの演奏でしょう。この曲と渡辺さんにまつわるあれこれの思い出をお持ちの方も少なくないかもしれません。考えて見れば、私はこの曲を渡辺さん以外のギター演奏で聴いた記憶がありません。ブリームやセゴビアあたりが弾いているはずですが、まったく記憶に残っていません。それだけ、彼の演奏の印象が強烈だったということでしょう。とにかく美しい音で、水の流れるように流麗な演奏でした。だから、先日の彼の訃報には、本当に驚きました。何も、追悼録音などという大それたことを言うつもりはありませんが、この曲を弾いていると、ブラウン管の中で、言葉少なにレッスンをする渡辺さんの姿が目に浮かびます。 使用した楽譜は、例によってキエザのリュート譜から、私が編曲したものです。原曲はCマイナーですが、ここではEマイナーとしました。これは、Triさんが書いてくださったファンタジーが、やはり、Eマイナーだったからで、練習量の削減を狙った極めて省資源的な理由によります。Eでは高音が少し明るくなりすぎて、低音が薄いかな、とも思いますが、まあ、あまり細かいことにこだわっていては、リュートの曲をギターで弾いたり出来ません。市販の譜面も二つだけ(ヴァーリー版、ノード版)見ましたが、ノード版では、スラーの位置などが大幅に変更されていました。変更の根拠はよくわかりませんけれど、私には、要するに弾きやすく、メロディーラインがスムースに流れるように工夫されているように見えます。こういう先人の工夫は、私の版では、すべてあっさり無視してあります。これは、まあ、いろいろとウンチクを書き出すと長くなるのですが(もうすでに長いですが)、要するに、あまりギターっぽくならないように弾きたかったからです。 どうも最近は、録音するもの、するもの、気に入らないのですが、今回の録音も「竹」評価です。どうしてこう、のっぺりとした生気のない演奏になってしまうのか、、、また、宅録日記が長くなりました。学術論文などでは、前書きがダラダラ長いものにかぎって、本文の内容が乏しいものです。私のページでも、宅録日記が長いと、その分、演奏がショボイという傾向はあるかもしれません。泰山鳴動して、ウサギ一匹、、、、、、 2004年3月16日 (Tri さん ファンタジー) 以前に、Triさんの掲示板で擬古調の贋作の話題が出たことがありました。そのときに、私は無責任にも「バロック調のものを書いてみたら」などと言って、そのまますっかり忘れていましたら、先日、Triさんが「一曲、書きました」と楽譜を送ってくださいました。「擬古調の贋作」というよりは、一種のパロディーというべき曲ですね。やってみると、これがまた、なかなか難しくて、上手く弾けません。今日の録音は、特に日が悪いのか、ずいぶんのっぺりした演奏になっています。 原曲の方も、Eマイナーでタブ譜から編曲しましたので、そのうちにアップしようと思っています。 2004年2月27日 (ガルシア Flores del Norte Profundo) 今回の録音は、ガルシアの未出版の曲で、Flores
del Norte Profundo です。英語なら、Flowers of
the deep north ですね。松尾芭蕉の「奥の細道」の英語訳、Narrow
road to the deep north にちなんでつけられたタイトルです。「みちのくの花」とでも訳せばよいでしょうか。数年前に、ガルシアの友人、というよりはパートナーで、やはりギタリストのアリソンが、日本に旅行に行くというので、餞別代わりに書かれた曲です。 弾くだけなら、技術的に、そんなに難しいわけではありませんが、聴いてお分かりのように、上手く鳴らすのが難しい曲です。低音弦のハイポジションの音程も狂いがちで、どうもなんだかすっきりしません。私の演奏は、高音がヒステリックで、低音は無節操にぼんぼん鳴りすぎていて、音に魅力のない演奏になってしまいました。その上、5弦のCシャープの音がややビビっていますが、これは今度のティンガムでギャリーに調整してもらう予定です。美しい瞬間がないわけではないのだけれど、一曲全体を、そういう瞬間で満たすのは、難しいことですね。 2004年1月31日 (ヴァイス ソナタ36番より アルマンド) この宅録日記は、よく読みなおしてみると、要するに「言い訳と苦労話」を書き捨ててあるだけじゃあないかという気がしてきますね。どうもそれでは情けないので、今回はあんまり「あれも出来なかった、これも失敗した」というたぐいのことは書かないようにしようと思います。今日はあいにく嵐のような空模様で、書斎の窓ガラスにあたる横殴りの雨の音が入るのではないかと、心配になるくらいでした。 さて、このアルマンドですが、ここまでくるの2ヶ月半かかりました。止まらずに完走できるようになったのはつい10日ほど前のことです。ありゃ、これも「苦労話」かな。まあ、それはそれとして、いつものように、今までに押さえたこともないような変な押さえが頻出します。変わった押さえ・イコール・変わった響き、ですから、ちょっとギターらしくない響きの曲でしょう。随所に古典派のギターの曲では聴かれない、短二度を含む不協和音が鳴っています。この曲はDマイナーですので、DFにEの音が入った、DEFの和音が一番多くでてきますが、これは基本的には装飾ですから、Eをはしょってもハーモニーは変わりません。だから、たいていのヴァイスの曲のギターへの編曲譜は、左手が易しくなるように、あっさりとこの手の装飾を無視してあります。このあたりが、なんとなくギターで弾かれたヴァイスが、のっぺりと平らな印象で、リュートのような陰影に乏しい理由の一つになっていると思います。このタイプの装飾はこのアルマンドに7回(繰り返すと14回)出てくるのですが、この編曲ではそのうち4つをきちんと鳴らすようにしました。 繰り返しの際の変奏は、主にバルトの録音と、それから、少しだけカルダンのものを参考にしました。2月6日、編曲譜もアップしました
。 2004年1月10日 (ガルシア 25の素描風練習曲集より 第21番) ちょっと間があいてしまいましたが、2004年最初の録音はガルシアのエチュード21番です。曲想は、ワルツ・レント。副題は、Presque Fin de Cycle。英語なら、Almost End of Cycle でしょうか。どういう意味でしょうね。無限に続くかと思われた繰り返しにようやく訪れた終焉。まあ、エチュードばかり書くのに、飽きてきただけかもしれませんが。今度、本人に聞いてみましょう。ところで、この曲、もう一月半ほど弾いています。結構苦労したんです。年末の休みにかなり練習したのですが、なぜだか良くわからないけれど、私には難しいのです。しばらく前の練習メモにはこんなことが書いてありました。ちょっと長いですが、引用します。 『どうもここの所、ギターを弾いていてもふっ切れないものがあるのは、結局のところ、人の言うこと、やることに惑わされているということだと思います。我ながらいつまでたっても習わないやつです。 私たちのような大人のギター弾きは、それぞれ色々な「事情」を抱えながらギターを弾いています。四つの時から「ヨーイ、ドン」で、みんなそろってギターを習い始めて、今、5年目などという子供たちとはわけが違います。早くにはじめても、長いブランクのあった人。大学生、あるいは社会人になってからはじめた人。エレキから転向した人。腱鞘炎に悩んでいる人。週末しか練習時間のない人。パートナーの理解のある人、ない人。上手い人、下手な人。上手くてももうひとつセンスのない人。下手でも、味のある演奏をする人。文句のつけようのないくらい上手い人。情熱のある人。それほどでもない人、、、、、でも、やめない程度の情熱はある人。 一月かかって一曲も仕上げられなくても、それはそれでかまわないはずです。人と自分のペースと比べても仕方がないし、一月かかって練習した結果に自分で納得がゆかないのなら、もう一月練習するだけのことでしょう。そう言っても、このエチュード21番を弾いていて、正直、悩んでしまいました。楽譜を見て、これなら初見で弾けるだろう、と思って弾いてみたら、やっぱり初見で弾けたのです。普通、こういう場合、一週間も弾けば録音できるくらいには仕上がります。ところが、これが弾いても弾いても納得がゆかないのです。 繰り返しのたびに微妙に違う音型やコードに混乱するので、まず、暗譜が出来ません。ワルツ・レントとあるけれど、弾いているうちにどんどんイメージするテンポが上がっていって、そのたびにクリアに弾けていたつもりの装飾的なアルペジオが団子になって濁ってしまいます。そして、そのたびにプランティングを使ったアルペジオ練習に戻らなければいけないものだから、また、練習が前へ進みません。そして、エンディング。永遠に続くかと思った繰り返しが、突然途切れて一気に緊張感を高めてゆくのだけれど、これがまた、思ったテンポで弾けません。ここばっかり、あんまり繰り返すものだから、本人も飽きてしまって弾きながら眠ってしまいそうになります。まあ、こういう時はすでに緊張の糸が切れているのだから、練習を中断して、お茶でも飲むのが一番でしょう。そして、ここでネットで人様の掲示板などを読んだり、MP3を聴いたりして上を見てはいけないのです。もちろん、下を見てもいけない。あるがままの自分を見なくては。2、3日前よりも、スムースに弾けるようになった個所があるじゃないか、そう考えればよいのに、それが出来ないのです』 うーん、悩める中年おやじギター弾き、蚊帳吊りウサギ、44歳。 2003年12月6日 (ヴァイス ソナタ36番より ファンタジー) さて、今回の録音は先月の22日に録音したヴァイスのファンタジー(ソナタ36番ニ短調より)の再録音です。やり直そうと思った最大の理由は、編曲譜にどうしても原典のままでは納得の行かない部分が見つかったために一部音を変更したことです。それに加えて、前回はやや暗譜が不完全なまま録音したため流れにぎごちない部分があったこと、一ヶ所暗譜に間違いがあったこと、その後もう少し合理的な運指を思いついたこと等、まあ、要するによく聴いてみると、前回の仕事はかなりいいかげんだったことが判明したからです。 録音はあっさり15分くらいで終わりましたが、結果的には思ったより良くならなくて、多少がっかりしました。今回の評価は、松竹梅の竹。できれば明日、楽譜もアップしてしまいたいと思っています。この曲に続くアルマンドは、36番のソナタの中でも格別に美しい曲です。今楽譜をいじっていますが、かなり手ごわそうです。あまり無理なく、きれいに弾ける譜面が書ければよいのですけれど。 2003年11月30日 (アイルランド民謡 ロンドンデリーの歌) 今回の録音は、武満徹編の「12の歌」からの一曲です。ところで、昨日、2年間運営しきたこのサイトを閉鎖しました。こうして、いまだにコンテンツを更新しているのは、いつかまた、正式に再アップできる日がくるだろうと思ってのことです。自分の良心に鑑みて正しいと思うことをしてきた結果、こんなことになるとは、断腸の思いです。こういうトラブルでは当事者同士で、事実の認識が大きく違うのが普通です。私の言うことと、もう一方の当事者の言い分が180度違うので当惑されている方もいらっしゃるかもしれません。裁判でもあるまいし、とても詳細な事実関係をすべて公表して争うことは出来ませんから、私はあえて「私の言うことを信じてください」とは言いません。けれども、結局のところ、人は何かを信じなければなりません。冷静で誠実な人ほど、客観的に判断したいと思うものですが、この世に100%客観的な意見・立場などというものはありえません。人は、星の数ほどある「主観的事実」のなかから、自分の理性と直感を頼りに「信じるべきものを信じる」のだと思います。 いきなり、気の滅入るような書き出しになってしまいましたが、暗いムードはもう少し続きます。このロンドンデリーの歌は、今から6年前、食道がんの手術を受けるために会社を休職して帰国し、大阪の成人病センターへの入院を待っていた1997年の夏に練習していた曲です。あのときに2週間くらい練習しましたが、あまりうまく弾けませんでした。武満というのは、なんて難しい編曲をする人だろうと、思ったのを良く覚えています。あの時、いつかはもう少しきちんと弾けるようになりたい、自分の人生にそういうチャンスと時間が残されていてほしい、と思った自分の気持ちが、この曲を弾いていると生々しく蘇ってきます。 アイルランドの民謡にはどことなくさびしい曲が多いように思います。ロンドンデリーの人々にとって、北アイルランドが連合王国にとどまるにせよ、アイルランド本国との統合の道を選ぶにせよ、一日も早く流血の日々が過去のものになるように願って止みません。 どうも、音楽と関係のないことばかり書いていますね。今回の録音にあたってのコメントは、「いや、我ながら、例のあそこ。よく2回とも届いたもんだ」であります。 2003年11月22日 (ヴァイス ソナタ36番より ファンタジー) またまたヴァイスです。自分でも、飽きもせずに良くやると思います。このニ短調のソナタ36番は1720年代、ヴァイスが40歳ころの作品だと考えられています。ロンドン手稿譜の7番目のソナタですので、ソナタ7番と呼ばれることもありますが、ここでは最近のベーレンライター版のヴァイス全集の番号付けに従いました。以前、現代ギターに、真鍋理一郎編でソナタ7番として掲載された曲と同一曲です。ドレスデンにもこの曲の異稿があり、こちらには第1曲アルマンドの前にファンタジーが挿入されています。今回、編曲・録音したファンタジーはこのドレスデン手稿譜に拠っています。もしかしたら、6弦ギターでは、世界初演かもしれませんね。(笑) さて、この36番、私は名曲だと思います。できれば、先の2番と同様に全曲、編曲・録音できれば良いと思いますが、技術的にはかなり困難かもしれません。しかし、終曲のジーグのエンディングなどは、きちんと弾けば圧倒的な演奏効果のあがるだろう事は、間違いありません。自分にどこまでできるか、一年くらいかける気持ちでゆっくり取り組みたいと思います。 今回録音したファンタジーは、まあ、続く6曲の予告編のようなものです。もうちょっとこなれてから録音すればよかったかな、とも思いますが、所詮些細な違いが気になるのは本人だけだとも思いますので、さっさとアップしてしまいました。私が「名曲」だと思う理由が、少しでもわかっていただけたら、これほどうれしいことはありません。 今回も、編曲譜は録音にあわせてアップしてゆくつもりです。 2003年11月19日 (ガルシア 25の素描風練習曲集より 第10番) あまりヴァイスの録音ばかりが続いたので、気分転換に師匠の練習曲を録音してみました。この25の練習曲集は、21−25番がラテンアメリカ風の小品集ともいうべきかっこいいショーピースで、20番までとはずいぶん趣が違います。私は、もちろん、後半の5曲も大好きなのですが、前半の20曲のほうに、よりガルシアらしい、ちょっとしゃれたアイデアが認められて、なかなか捨てがたいと思っています。技巧的な問題のほかに、音楽的な課題がとてもうまく盛り込まれていると思うのです。弾いてみると、一見意味のない音のつながりの中から、音楽を紡ぎ出すパズルのように感じられます。これくらい、弾く人によっていろいろな解釈で弾ける練習曲集も、珍しいのではないでしょうか。 易しい練習曲を書くのは本格的な演奏会用の作品を書くことにも増して難しいそうで、この10番は当初は1番のつもりで作曲したのだけれど、実際に生徒に使ってみると難しすぎて、いくつか易しい曲を書き足した結果、最終的に10番目の曲になったのだそうです。 2003年10月26日 (ヴァイス ソナタ 2番より ジーグ) パソコンのトラブルやら、なにやらで一月半ぶりの録音となりました。ヴァイスのソナタ2番の最後の曲です。 とにかく、シンプルに、華やかに弾きたいと思って練習していましたが、録音してみればちょっと首を傾げてしまう出来になりました。松竹梅の竹−梅です。 指の回らない私には「20%の法則」というのがあって、これは要するに「理想のテンポの80%でしか弾けない、あるいは、自分が安定して弾けるテンポを20%増しにすると、ちょうど良いテンポになる」ということです。このジーグの場合、お手本にしているバルトの演奏が3分10秒(190秒)、付点四分音符を一拍としてメトロノームで100と少し、がイメージしているテンポになります。結局かなり弾きこんだのですが、安心して弾けるテンポはやはり80程度。それより上は、ミスの確立も上がるし、何より弾いている最中にひと時も気が休まりません。それでも本人としてはがんばった結果、今回の録音では3分37秒(217秒)、バルトとの差は14%ということになりました。まあ、こういう話は、言ってみれば音楽の本質とは何の関係もないといえますが、それでも「弾きたいテンポと弾けるテンポの間のギャップを埋める」ことは、われわれアマチュアにとっては、永遠の課題です。音楽の推進力と絶対的なテンポの間に正の相関のあることは、誰にも否定できません。 楽譜は後日アップしますが、技術的には難易度は結構高いと思います。左手のストレッチと早いテンポの組み合わせが、ギタリストにとっては鬼門であることが、今回のヴァイスのソナタを通してよーくわかりました。 10月26日夜、編曲譜もアップ終了しました。 2003年9月10日 (ヴァイス ソナタ 2番より サラバンド) さて、このサラバンド、すでに録音したアルマンドによく似ています。聞いた感じも、弾いた感じもそっくりです。このあたり、組曲としてややアイデアに乏しいのは、このソナタがヴァイスの初期の作品だからでしょうか。まあ、その分、気取りがなくて親しみやすいともいえるとは思います。 この曲のポイントは、やはりよく歌うこと、それからアルマンドと同様に装飾音でしょう。リュートのように優雅にトリルをつけるのは難しいけれど、やはりなんとなくそれらしい雰囲気は出したいものです。ギターで弾かれるトリルは、機械的なことが多いですね。子供のころ、自転車のスポークに厚紙があたるようにクリップで挟んで走ると、バリバリと猛烈な音がして、「オートバイの真似!」などと言いながらたわいのない遊びをしましたが、指の回る人のトリルほど、あの強烈な破裂音を思い出させてくれます。 と、いつも偉そうな事を書くわけですが、いざ自分がやってみるとなるとこれが本当に難しい。リュートのCDを聞きながら、「こんな感じかな?」と真似てみるわけですが、聞いてわかったつもりでも、やってみると実はぜんぜんわかっていないんですね。ウィンドウズのメディアプレイヤーのためにクロノトロンというピッチを変えずに演奏の速さだけを変えられる(逆も可)プラグインがありますが、これが装飾音のような早い動きの音の耳コピーにとても便利です。 今回の演奏も前回と同様、バルトとモレノのアイデアを拝借しています。特にこの曲は、出だしのアルペジオのパターンが変わっていて、そのままですでに即興されたような印象を与えるので、繰り返しで同じ事を二度弾くとちょっとくどく感じます。バルトは出だしの4小節を大幅に簡略化したバージョンではじめて、繰り返し時に原典どおり弾くという、逆変奏のような方法でこの問題を処理しています。すごくうまい方法だと思うので、早速パクらせていただきました。 実は、一昨日にも録音したのですが、結構うまく弾けたと思ったらマイクの電源を入れ忘れていたり、ソフトのレコーディングボタンを押し忘れていたり、演奏以外のところで馬鹿みたいなミスばかりして、しまいには演奏のほうまでおかしくなって、気に入ったテイクは取れませんでした。今日は再挑戦というわけです。結果は、可もなく不可もなくといったところでしょうか。もちろん、不可のほうは細かいことを言い出せばキリがありませんが。 譜面は後日。 2003年8月7日 (ヴァイス ソナタ 2番より ブーレ) 昨晩遅くまでの接待がたたって、今朝はほとんど布団から這い出せない状態だった。酒は飲んでいないけれど、とにかくガソリンが切れた車のように動けない。目をつぶると体がベッドのマットレスに沈み込んで海の深みに吸い込まれて行くようだ。体力がないとはこういうことか。朝10時ころには何とか起き上がったものの、血糖値をあげるためにチョコレートをバリバリとほおばって、すぐにベッドの中へ逆戻り。二時過ぎに再度起きだして、パスタを茹でて、買い置きのチリトマトソースとパルメザンをかけて昼飯を済ませると、またベッドの中へ。夕方5時ころ、ようやくフラフラと起き上がってきて、やったことがブーレの録音だというのだから、我ながら呆れてしまう。 ラジオ体操のようだった先日の没録音が1分59秒。モレノの録音が1分31秒、バルトは1分25秒。なんとなくイメージが違うのは、テンポのせいもあるのだろう。単純な曲なのに、大きなストレッチを伴った早い動きが続いて、とにかく難しい。はっきり言って、自分の指の性能を超えていると感じる。これ以上この曲にかかわっていたら、この組曲自体がいやになりそうなので、暫定的にでも、現状での録音をアップして次の曲に取り組むのが得策だろう。ということで、無理を承知でテンポアップしてみた。結局13秒縮めて、1分46秒。これじゃあ、陸上の800メーターのタイムだよ。とても、音楽の話とは思えないな。 譜面は後日。 2003年8月7日 (ヴァイス ソナタ 2番より アルマンド) このアルマンドは、ソナタ二番(組曲と同意ですが、ヴァイス本人はソナタという言い方を好んだようです)の中でも、私の一番好きな曲です。聴いているぶんには良いのですが、弾くとなると、もう一月近くも練習しているのに覚えられないし、ろくにちゃんと通らない。いい加減イライラしていたら、この2、3日でやっと仕上がってきました。要はやる気の問題ですね。6弦ギター化ヴァイスの宿命として、左手のストレッチが熾烈なのはいつものことですが、この曲のポイントはなんと言っても装飾音でしょう。トリルにしても、モルデントにしても、物差しで計ったように入れるのではなくて、何か、風に吹かれて風鈴が鳴るように揺らぎながら弾けたらいいな、と思います。まあしかし、思っていることと、出来ることの間には深い溝のあることは言うまでもありません。繰り返しが前半と後半で二回ありますが、同じようにならないように気を使いました。でも、結局は、ホセ・ミゲル・モレノのリュートの演奏からアイデアを拝借しただけなので、オリジナリティーはほとんどありませんけれど。 録音は、とてもアップできるようなものは録れないだろうと思って始めましたが、案の定、毎回必ずどこかで大きなミスが出て、もうやめようと思って弾いた最後のテイクが何とか聴けるものになりました。それでも、ベースの音を一箇所大きくはずしていますが、楽譜とつき合わせて聴かなければよくわからないかもしれません。本当に、録音というのは人前で弾くのと同じくらい緊張しますね。通しで5−6回弾きましたが、途中で没になったテイクはその2−3倍はあるでしょう。集中力の問題で、45分(小学校低学年並み)以上がんばり続けるのは、私の場合無駄なようです。 2003年7月20日 (ヴァイス ソナタ2番より クーラント) 以前にデタラメバージョンをアップしましたが、今度のものはサウスウェル・ハウザーを使っての再録音です。あれから、少し弾きこんでありますので、テンポは若干アップしています。それでもメトロノーム80−90に四つくらいでしょう。バルトは、これを120−130くらいで弾ききっています。(ナクソスのCD) リュートって、スピードの出せる楽器だったんですね。認識を新たにしました、というよりは、私の指がおそいだけか、、、まあ、これくらいのテンポでも、クーラントの感じは出ているのではないかと思います。録音そのものは、けっこう練習してあったということもあって、30分くらいで無事終了しました。 自分で弾くのだからもう少し易しい編曲にしたかったのですが、どうやったら易しくなるのかよくわかりません。音を省くといっても、こんなベースと旋律だけの曲、どうしたらいいものか。結局、後半などは、けっこうアクロバティックになってしまいました。どなたか、腕に覚えのある方が弾いてみてくださるといいのだけれど。それにしても、最後の和音で、下降してきたベースラインがオクターブ上がってしまうのが悔しいですね。 2003年7月13日 (ヴァイス ソナタ2番より メヌエット) サウスウェル・ハウザーを使っての、最初の録音です。もう少し音の違いの良く分かる曲を録音したかったのですが、とりあえず、ヴァイスプロジェクトを先へ進めることを優先しました。編曲譜は、いつものように後日アップします。 さて、録音の方は、なんだか情けない出来になってしまいました。言い訳をすれば、今日はほんとに暑くて、その上録音中に隣の家の子供が庭で騒ぐものだから、窓を閉めて録音せねばならず、完全なゆでだこ状態。早く終わりたい一心で弾きました。その心理を反映してか、あるいは、ただ下手なのか、ずいぶん雑に聞こえます。後日譜面をご覧になれば分かると思いますが、この曲も一見したところでは、すごく易しそうですが、弾いてみると、左指を伸ばしたり折りたたんだり、けっこう厄介です。 mp3にしてしまうと分かりにくいですが、低音の伸びに新しいギターの音を聞き取っていただけるのではないかと思います。 2003年6月17日 (ヴァイス ソナタ2番より プレリュード) 二度目の録音です。後半の難しいところが、少しだけスムースになったと思います。即興風のアルペジオパターンも少し変更しましたが、大筋では同じです。まだまだ粗いですが、今の実力ではこんなもんでしょう。 2003年5月31日 (ヴァイス ソナタ2番より プレリュード) キエザ編のリュート譜に少しだけ手を入れて、6弦ギターで弾けるようにしました。まだ良くこなれていませんので、かなり不満の多い録音ですが、最近、あまりネタもないので、ミュージックファイルに加えておくことにしました。いずれ録りなおそうと思っています。譜面もダウンロードできるようにしておきました。リュート譜からの主な変更点は、ベースの音を適宜オクターブ上げたこと、記譜ソフトによる制約のため小節線と便宜的に拍子記号を追加したことです。原曲に小節線はありません。また、和音のスペーシングを一箇所だけ変更してあります。調は原曲どおり、ニ長調です。運指はごく簡略に、特に重要なところだけを記入するに留め、その他は概略のポジションを指定するだけにしてあります。 演奏にあたっては、ロバート・バルトのCD(ナクソス)を参考にしました。しかし、前半はともかく、後半の十数小節は、はっきり言って、完全に「指の都合」による表現になっています。ここは、ほんとはインテンポあるいは、むしろ少しずつテンポを上げたいくらいなのですが、難しいです。 2003年4月25日 (ラウロ ネズエラワルツ第二番) 先週はこのベネズエラワルツ二番をアップしてから、繰り返し部分がデタラメであったことに気づきました。さらに、otozakaさんのちょと荒削りだけれども、すばらしく推進力のある演奏も聞かせていただきました。ああ、こういう風に弾くもんなんだ、、、、 まあ、そんなわけで、あんまりいいかげんなものをアップしておくのも恥ずかしくなり、再録することに。要するに、私のようなものが、このレベルの曲を 「ちょっと弾いてみました」 とアップするのは、おこがましいという当たり前のことにいまさらながらに気づいた、ということですね。何事も、もっと真剣に取り組まねば。かといって、4、5日やそこらで、おいそれとレベルアップした演奏が出来るわけもなく、とりあえず、今週はこの曲、メトロノーム80くらいで、毎日一時間くらい弾き込んでみました。左右の運指も見直して、できるだけのことをした結果がこの録音です。こういうタイプの曲が苦手だということがよく分かりました。逆に、技術上の問題点を洗い出すきっかけになったという点では、とてもよかったと思います。 2003年4月21日 (ラウロ ネズエラワルツ第二番、アセンシオ 内なる想い」第3曲、La Calma) 今日はイースター4連休の最終日。この四日間で「内なる想い」の第1、2曲を録音してしまおうと思っていたけれど、結局手をつけられず、録音したのは、第3曲、La Calma (再録)と ラウロの 「ベネズエラワルツ第二番」 となりました。
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